女子しかいない教室の中で、「女子高校生」の記号を押し付けられた〈わたしたち〉は妄想する。意固地で世渡り下手な真汐に、冷静で人付き合いに長け、誰からも愛される日夏。乱暴な母親に育てられたせいか、極度に受動的で、小動物じみた空穂。真汐が〈ママ〉で日夏は〈パパ〉、そして二人の子どもである空穂は〈王子様〉。松浦理英子『最愛の子ども』(文藝春秋)は、男女併学の中高一貫校を舞台に繰り広げられる、三人の少女たちの甘いロマンスを描いた小説です。
わたしたちはわたしたちの見ていない所で何があったのか想像し、何が起こっているのか、これからどんな成り行きになるのか思いめぐらし、現実に知り得た情報を基にしつつも、わたしたちを納得させ楽しませるストーリーを妄想を織り交ぜて導き出そうとする。日夏と真汐と空穂に向ける目はよりいっそう欲望にうるむ。
この小説の語り手として、三人のストーリーを物語るのは、彼女たちのクラスメイトである〈わたしたち〉です。〈わたしたち〉は“擬似家族”のような三人を特別に〈わたしたちのファミリー〉と名付けました。家族のようでありながら、現実の家族モデルとは異なる、より曖昧で不定形な関係。三人の間には、どこか甘い同性愛的な空気も漂っています。顔を捏ねくりまわしたり、耳の孔に指を差し込んだり、口の中を指でいじくったり、お尻を平手で叩いたり……。真汐と日夏は、さまざまな方法で空穂を可愛がります。しかし、性器や乳房へ触れているわけでもなければ、舌を絡ませる口づけすらしようとしない。男が女にするような、性器の結合を中心にした性愛の定型を、〈ファミリー〉は軽やかに回避しているのです。
そして特筆しておくべきは、この小説が〈わたしたち〉の見聞きした情報と、その情報を元に妄想された三人の「物語」を巧みに織り交ぜることで構成されているという点です。三人の間に観察される、ほんの些細な態度や空気の違いを〈わたしたち〉は繊細に感じ取り、妄想を膨らませ、自分たちを楽しませるのにぴったりの物語を作り上げていく——これはいわゆる男性間の恋愛を好む「腐女子」と呼ばれる人々の営みとよく似ています。
溝口彰子は『BL進化論――ボーイズラブが社会を動かす』(太田出版)の中で、BL(ボーイズラブ)を愛する腐女子たちが互いの妄想をコミュニティ内で交わらせることによって、己の性的欲望を満たしていることを指摘しています。溝口は、肉体的・物理的な快楽ではなく、互いの欲望、すなわち頭脳的な快楽を交換する行為について「脳内での性的交歓」と表現し、そうした行為を楽しむ腐女子たちを「ヴァーチャル・レズビアン」と呼んでいるのですが、それを踏まえたうえでこの小説を読んでみると、三人の〈ファミリー〉だけでなく、彼女たちの物語を妄想し合う〈わたしたち〉もまた、定型に当て嵌まらない性的な関係を築いていることがわかるのではないでしょうか。
さらに溝口が同著の中で「BLが描こうとしているのは家父長制&異性愛規範社会による女性たちへの抑圧から無縁な状態で、のびのびとラブやセックスやライフを謳歌するキャラクターたち」であると述べているように、BLというジャンルは、日常的に社会規範の抑圧を受けている女性たちが、つかの間現実から逃避するのを許してくれるものでもあります。そして、そのような抑圧は、『最愛の子ども』における〈ファミリー〉や〈わたしたち〉、つまり「少女」という存在が、当たり前に耐え続けているものでもあるのです。無神経で乱暴な教師。女を憎む男。暴力を振るう親。偏見に満ちた世間の目。しかし少女たちもまた、妄想し、物語ることによって、穏やかな連帯の中で自分たちの心を救っています。〈わたしたち〉が〈わたしたち〉のために作り出した物語。物語を生むということは、現実とは異なる、もうひとつの世界を生きるということなのです。
いったいどれだけ賢ければ波風立てずに生きて行けるのだろう。どれだけ美しければ世間に大事にされるのだろう。どれだけまっすぐに育てばすこやかな性欲が宿るのだろう。どれだけ性格がよければ今のわたしが全く愛せない人たちを愛せるのだろう。
少女たちの人生は必ずしも、のびのびと幸せを享受できるようなものではありません。だからと言って、彼女たちが特別数奇な運命を辿っているというわけでもないのです。少女たちを取り巻き、押さえつけているのは、ごくありふれた現実でしかありません。ありふれた抑圧、ありふれた暴力、ありふれた悪意、ありふれた偏見——そうしたものに晒されながら、非力で、孤独で、みじめな「少女」という存在として生きていかなければならない。しかし少女たちは同時に、「わたしたち」の物語を生きることができます。妄想を媒介にした彼女たちの連帯は、どこかあたたかくなごやかです。現実の息苦しさから、少しだけ離れたところに心を避難させてくれる。『最愛の子ども』は、このひどくありふれて窮屈な現実を生きる、すべての妄想少女たちのための物語なのです。
(餅井アンナ)