「家庭の天使」のまぼろし
もし書評をしようとするなら、ある幻と戦わなければならないことが分かりました。その幻は女性ですが、私は彼女をよく知るようになると、有名な詩のヒロインにちなんで家庭の天使と名づけました。彼女は、私が書評を書いているとき、私と原稿用紙の間によく介入してきました。私を悩ませ、私の時間を無駄にし、とても私を苦しめましたので、とうとう彼女を殺してしまいました。(ヴァージニア・ウルフ「女性にとっての職業」、『女性にとっての職業』出淵敬子、川本静子訳、みすず書房、1994、p. 3。)
これは20世紀前半に活躍した著名な英国の作家、ヴァージニア・ウルフが1931年に行ったスピーチの一部です。ここで出てくる「家庭の天使」というのはコヴェントリー・パットモアが19世紀半ばに発表した詩で、家庭内で妻や母の役割を果たす女性を褒め称えた作品です。ウルフによると、男性が書いた本を批評しようとした時に家庭の天使が現れました。できるだけ優しく、お世辞を使って男性を称賛し、自分に脳ミソがあるなどということは悟られないようにしなさい、というようなことを助言してくれたということです。
もちろん、こんな天使は実在しません。ウルフは、女性が自分で考えて行動をしようとしたときにのしかかってくる社会的抑圧を擬人化して「家庭の天使」と呼んだのです。こうした抑圧は、人が社会と関わる中で自然と内面化してしまうものです。当たり前のように身につけてしまったので、抑圧が存在し、自分を苦しめていることにすら気付かないこともあります。フェミニストでバイセクシュアルだったウルフは、この抑圧を作家らしく言葉で具体化し、対抗しようとしました。
なんだかわからないけれども自分を苦しめているものを見定めて名前をつけることは、それと戦ったり、対処したりしていく上で役に立つことがあります。ウルフは「家庭の天使」という名前をつけました。18世紀の学者サミュエル・ジョンソンは自分の鬱を「黒い犬」と呼び、英国首相でふさぎの虫に悩んでいたウィンストン・チャーチルもこの言葉を好んで使っていました。今回の記事では、この心の中の抑圧や不安に名前をつけて戦うことについて、ウルフに倣ってフェミニストとしての私の経験を書いてみようと思います。