「2分の1成人式」で感謝の手紙を読まれたら、私は親として嬉しがるのだろうか

【この記事のキーワード】

プライバシー保護の観点で言えば、私が小学生だった頃、転入生が自ら公表するより先に、担任教師が“うっかり”、その子が両親の離婚によって転校してきたことを暴露してしまうということがあった。父の日、先生はクラス全員に緑色の模造紙を配り、父親への感謝の手紙を書くことを指示した。そのとき先生は、大声ではなかったけど、クラス全員に届く程度の大きさの声で「あ、○○さんは、お母さんに書けばいいから」と、転入してきて間もないクラスメイトに言った。瞬間、その子は父親と暮らしてない、転校してきた理由もそれ(親の離婚に伴う引っ越し)なのかな、と察したけれど、それって先生が勝手に暴露していいことなのか疑問に思った。その子がどんな表情をしていたのかは見えなかったし、その時どう思ったのかはわからない。何とも思っていなかったかもしれない。先生に悪気はなかったのかもしれない。けど、自分がみんなの前でこんなふうに、家族の情報を何か言われたら絶対イヤだと私は思い、その先生に嫌悪感や警戒心を抱き、修了式まで信頼できなかった。あくまでも、私がそう感じたということに過ぎず、ほかのみんながどう感じていたのかは、わからないが。でも家族や生い立ちのエピソードは、みんなの前で発表して共有するようなことなんだろうか。秘密にしておきたい子や親だっているんじゃないか。今もそう思う。

親に感謝できなくてもいい

そしてこの行事で一番止めて欲しいのは、「親への感謝」を強制することだ。親への手紙は、2分の1成人式で定番なのだが、手紙の趣旨は「親への感謝」が前提となっており、学校でこれを書かせるということは、親への感謝を強制していることになる。それはつまり児童に対して「親には感謝すべき」という価値観を植え付けているともいえる。学校によっては、児童の書いた手紙を教員がチェック・添削の上で清書するというナンセンスな行為がなされ、「感謝の気持ちが足りない」と指導が入ることさえあるというから異常ではないか。

親への手紙は、複雑な家庭の子に対する配慮が足りない、虐待のSOSを見逃すのでは、という懸念もある。それももっともだ。ただ、いかなる家庭で育っていようが、親や家族に感謝するもしないもその子の自由だと私は考える。たとえ10歳の子どもであっても、親や家族にいかなる気持ちを抱くか(内心の自由)は本人次第で、学校が「感謝すべき(それがあるべき姿)」と、さも正しい答えであるかのように提示するのはおかしい。その子が自分で考えたり悩んだりすればいいし、10歳の時は感謝して親孝行を決意していても2年後には親を軽蔑していることだって、あるだろう。親は聖人ではないのだし。

ベネッセの調査によると2分の1成人式で感動した!という親は大勢いるらしく、インスタグラムで子どもに貰った手紙を投稿している親も多い。我が子の学校で実施されている行事に出向き、感動するのだってその人(子どもの親だから、ではなく、その人個人という意味)の自由だ。けれど、そもそも学校や学校行事は保護者を感動させるためにあるわけじゃないし、子どもは親を感動させるために生きているわけでもないのだ。

1 2 3

「「2分の1成人式」で感謝の手紙を読まれたら、私は親として嬉しがるのだろうか」のページです。などの最新ニュースは現代を思案するWezzy(ウェジー)で。