「2分の1成人式」で感謝の手紙を読まれたら、私は親として嬉しがるのだろうか

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「親への感謝」は、大人になっても強制されることがある。新入社員に「親への感謝の手紙」を書かせ、歓迎会の際にみんなの前で読み上げ、後日総務の人が親元に郵送する……という新人研修をおこなっている企業もあるという。元来、仕事とは“個人の問題”であり、仕事と親とは無関係、にもかかわらずだ。社員が親孝行を意識することで仕事意欲にもつながる……という考えに基づいてのことで、管理職や上司が新入社員に対して「お前、親に感謝してるか?」と尋ねるケースもあるらしく、実際にそれが意欲向上につながった社員もいるのかもしれないが、逆に親の過保護・過干渉から離れたかったり、虐待を受けた過去があったり、そういう“例外”の社員にとっては迷惑な質問だし、上司の想像力の欠如を残念に感じるかもしれない。子どもの給料にたかってくる親だって現実にはいるのだ。(例外の社員がいないことを確認してからおこなう企業もあるのかもしれないが) やっと親とは関係なしに自分の実力を試せる!と決意して入社してくる社員の意欲を奪うことにはならないのか? 厚労省だって、採用面接で家族に関する質問はNGとしている。学校同様、会社でだって「親への感謝」は強制するのは、けっこう危険であろう。

そういう私にも2歳の娘がいる。彼女もゆくゆくは2分の1成人式という行事に遭遇し、「親への感謝の手紙」を読むことになるかもしれない。正直、現在の娘を見ていても、彼女が10歳の頃どんな子になっているのか、まったく予想ができないし、その頃私がどんな親になっているのかも、これまたまったく予想ができない。その上で考えてみた。

私自身は小学生の頃に2分の1成人式を経験しておらず、他の学校行事でも親へ手紙を読むことはなかったのだが、そもそも親子参加系の学校行事に生理的嫌悪感を抱く小学生だったので(親を人に見られるのがたまらなくイヤ! だと思っていた)、もし“2分の1成人式で親への手紙を読む”なんて機会があったとしたら非常に憂鬱だっただろうし、手紙には当たり障りのない“書かされている感アリアリ”のことしか書かなかったに違いない。少なくとも今現在の私は、かつて嫌いな行事(授業参観とか)にイヤイヤ参加したことが自分自身の成長につながっている気はまるでしていない(1ミリもない)。

もちろん私と娘は別人なので、娘が私のような考えの10歳児になるとは言えないが、たとえば、私と娘の関係がそのとき良好なものと言えない状態で、娘が学校で「親への感謝の手紙」を書くことになって、親に感謝すべきという指導が入ったら、娘が「親に感謝できない自分はダメなんだ」とか「感謝できるような親を持っていない自分は不幸」と思ってしまわないとは限らない。それにしても10歳にもなった娘から、『ママありがとう♡♡♡』な手紙を読まれても白々しいというか、自分はいささか懐疑的に受け止めてしまいそうな予感がしているが。学校の指導とは関係なく娘の本心=感謝であるならばそれはそれで嬉しいのかもしれないが、強制で書かされても複雑な心境だ。親に子が自然と感謝や尊敬の念を抱く親子関係が望ましいとしても、それはあくまでも「望ましいもの」だから、みんなが到達する境地ではない。ともすれば、2分の1成人式は親として子どもから感謝や尊敬される人格者になるべく気を引き締めろ、という親へのプレッシャーとしても機能するのかもしれない。

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