『あなたのことはそれほど』の保守的な家族観。麗華が守り、美都が手放したもの。

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対して、美都の最後は、見ているこちらに「美都、やっぱりアホだったなー」と思わせるよう誘導していると思いました。光軌との不倫がばれ、涼太と離婚した後の美都は、1Kの古いアパートで1人暮らしをしています。結婚式場でひさしぶりに会った涼太と隣にいた同僚女性が結婚すると思い込み感傷に浸っているところに、駆け寄ってきた犬の飼い主の男性と運命を感じる……という終わり方で、「みっちゃん、懲りないなー」と思わせたからです。

また美都が元夫のことを「あんなにきれいに笑う人だった」ときれいな部分だけを思い出し、「涼ちゃんがそんなに望んでくれるなら、あたし…」と関係性の復活を匂わせるシーンがあります。涼太から「それほど」と言われてはしまうのですが、美都の本質が良く出ているシーンでした。その場の雰囲気や感情に流されて、「それもいいかもな」とふんわりと二番目の選択をしてはみるものの、実際にその後に続く生活が始まると、やっぱりダメだったと気づく人であることから、この悲劇は始まっているのです。

ただ、元夫に「それほど(好きじゃない)」「自分を肯定することにおいては天才的だね」「(一番好きな人と結婚できなくて)かわいそうにね」とぐさっとするようなことを言われても、「私には、涼ちゃんの愛は優しい暴力だった」「あなたのことを傷つけたことを忘れずに生きていこうとおもいます」と言えたことは、これまで自分勝手にふるまってきた美都の成長を感じさせるものであり、また美都がもともと持っている人の好さだなとも思えました。「お天道様は見ている」ということや、「最悪感」というものを一応は心の中にもっているのでしょう。保守的な物語では、自分を抑えてそこ(家族)に留まる努力をした女性こそが美徳と描かれます。どんなに理不尽なことがあっても耐え、嫌なことがあってもうまく転がしてそこに花を咲かせたほうが美しい。一方で、美都のように、自分の気持ちを優先して、その場に留まらない選択をするのは間違ったことだし、間違っているからこそ、制裁として選択させられるように描かれます。

『あなたのことはそれほど』にはまさにその保守的な物語を感じさせる一面がありました。有島と美都が不倫したことはお互い様のはずなのに、有島は妻からの制裁はあれど、家族を維持します(もしもその先の人生が単に家族のATMにさせられるとしても)。一方の美都はなにもかも手放してしまいます(本当は、何もしていないけど愛が重くて気持ち悪がられて何もかも失った涼太がふりまわされていてかわいそうな気もしますが)。

この結末は、保守的な視聴者を満足はさせますが、そうでない視聴者は、なぜ美都だけが罰を受けたのだろうと、どこかモヤモヤさせるものではあったでしょう。

たしかに有島と不倫を重ねる美都の行動には、毎回イライラさせられましたし、正直、あまり好きではありませんでした。あまりにも軽く自分の気持ちのままに不倫を重ねることも、もちろんいいとは思えませんでした。それでも最終回まで見ていくと、「それほど」だった夫をATMと割り切って夫婦であり続けることもせず、自分の気持ちに嘘をつかず、夫と別れ、そして夫を傷つけたことをちゃんと心に抱きながら一人で生きる美都のことを、「それほど」嫌いじゃなくなっていたなと思うのです。むしろ罰を受けたのは美都のほうではなく、有島のほうかもしれないなと。

そして、美都もまた「本当は今でも運命の人を待っている」母親の道を、辿ろうとしているのかもしれないなとも思いました。自分の気持ちを根拠に生きる美都親子と、自分の気持ちよりも家の存続を第一に考えた麗華親子の違いを軸に見ると、より面白いと思えるドラマでした。
(西森路代)

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