
先生、よろしくお願いします!
▼前編:社会を“男の絆”で占有する強固なロジック 「ホモソーシャル」の正体とは?
男性性にまつわる研究をされている様々な先生に教えを乞いながら、我々男子の課題や問題点について自己省察を交えて考えていく当連載。3人目の先生としてお招きしたのは、男同士の連帯をめぐる問題を歴史的に研究した『男の絆─明治の学生からボーイズ・ラブまで』(筑摩書房)の著者である前川直哉さんです。
踏まれている足より、踏んでいる足のことを考えたかった
清田代表(以下、清田) 前川先生は著書『男の絆』で、日本のホモソーシャルがどのように出来上がっていったのかについて、明治時代にまでさかのぼりながら歴史的に検証されていました。
前川直哉(以下、前川) 前編で述べたように、ホモソーシャルというのはアメリカのジェンダー研究者イヴ・セジウィックによって概念化された言葉です。ただし、これはあくまでアメリカやイギリスが研究対象であり、そのまま日本社会の分析に利用できるかは、検証の余地があった。日本がホモソーシャルな社会であることは間違いないけれど、じゃあそれはどのようなプロセスを経て出来上がったものなのか。それを明らかにしたくて書いたのが『男の絆』です。
清田 そもそも、前川先生はなぜこのテーマに関心を持つようになったんですか?
前川 ひとつは僕自身がセクシュアルマイノリティで、同性愛男性だっていうのがあるんですけど、それが研究を始めた理由かというと、実はそうでもなかったんですね。というのも、同性愛というのは基本的に言わなきゃバレないんですよ。その辺は上手にやり過ごしていれば特に怪しまれることなく日常生活を送れる。だから、自分自身が何か差別されたとか、そういう経験は特になかったんです。
清田 個人的な経験に根ざしていたわけではない、と。
前川 「社会を男で独占しよう」というホモソーシャルの中では、本来自分は排除される側なわけですが、僕は大学院生になるまでヘテロセクシュアル(異性愛者)のふりをしていたから、排除されることはなかった。でも、その態度はむしろホモソーシャルを守ることにつながるなって、ふと気づいてしまったんです。僕も男性なので、この社会からたくさん下駄を履かせてもらっている。ヘテロの仮面をかぶっていたのは、結局のところ、男として得ている様々な特権を手離したくなかったからではないかと思ったわけです。
清田 ヘテロのふりをしていれば、男としての恩恵を享受できる。しかしそれは、同性愛男性を排除するホモソーシャルに乗っかることにもなる……。確かに難しい立場ですね。
前川 このテーマに関心を持つようになったのは、まさにそのことがきっかけです。自分の踏まれている足より、自分が踏んでしまっている足のこと──と言うよりも踏んでることすら自覚していなかったわけですが、その「男性として得をしていること」自体について調べたいと思ったんです。ジェンダー研究の中でも、「どうやって男たちが社会を独占しようとしてきたか」ってところはなかなか問われない部分なので、ジャンルとしてはニッチなんですが(笑)。