イラク戦争がはじまったとき、私は高校生だった。ニューヨークにある世界貿易センターにテロリストをのせた飛行機が突っ込んだときから、父親は「これは戦争になる」と断言していたし、アメリカという大国がなにかを決断したなら、それは誰にも止められないんだろうと思った
やがてイラクで3名の日本人が人質になったことをニュースで知った。テレビでは「なんでそんな危険なところに行ったんだ」という自己責任論が吹き荒れていた。人質になったうちの一人だった今井紀明さんは、私の友人の友人の友人、くらいの距離にいる人だった。その頃、私は学校でロックバンドを組んでいたのだけれど、そのボーカルから深夜にチェーンメールが送られてきた。「今井くんを助けるために、小泉純一郎首相(当時)にみんなで手紙を書こう」。そう書かれた文面をみて、私は「そんなことしても、意味なくね」とだけ返信した。しばらくすると、彼女から再びメールが届いた。「意味ないかもしれないけど、おまえみたいなやつ、ムカつく」。なんとなくドキッとした。
大人になった私は、いまではLGBTに関する人権活動をやっている。カネもない、権力もない平凡な連中が、ところがどっこい世の中を地味に変えられるという草の根の活動の現場に身を置いて12年。LGBTを取り巻く社会状況はかなり変わって、声をあげれば変えられることもあるのだと知った。民主主義、ばんざい。そんなことを思うこともあるけれど、この国の主人公が自分たち一人ひとりだとか、未来は今日よりも明るいとか、 #lovewinsとか、そんな簡単には言えないこともコロコロと転がっている。
共謀罪法が強行採決された日は眠れなかった。その朝、テレビではどこも国会中継を流さなかった。政府はテロ等準備罪と言っているけれど、テロ対策とは無縁であるらしい。法がなければオリンピックができないとも言っているが、それもウソらしい(http://synodos.jp/politics/19853)。でも、そんな細やかな議論なんてどうだって良くて、法律を早く成立させることに意味があったようだ。そのプロセスに腹が立ったし、自分の大切なものを力づくで壊されるような気持ちになった。それじゃあ双眼鏡と地図をもって「共謀オフ会」をしようかとか、イベントの名前はcafé Kyoboがおしゃれだとか、リスク回避のために和菓子を差し入れてくれなどと友人とは話していたけれど、何をしてもダメなんじゃないか、という気もした。
日本国憲法の第12条には「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」と書かれている。ようするに、きみたちの自由や権利はきみたちで努力しなければだれも代わりには闘ってはくれないんだよ、ということだ。これは熱くて冷たい事実だ。不断の努力というストイックな響きには、人類の普遍的価値を守るんだ、という火傷をしそうな情熱が込められている。しかし、これは百戦百勝の出来レースでもない。大前提として、権力をもった人間は、人々に自由や権利などを保障したいとは思っていないのだから。流す情報だって考えさせる時間だって十分には与えてくれない。だから不断の努力は「努力すれば必ず報われる」といったタイプのものではない。
大きな流れに疑問を持たず、できそうなことばかりを夢見れば傷つくことも少ないのかもしれないけれど、できそうにないことを夢みるならば、不断の努力はときに人を絶望させる。それはとてつもなく冷たいことだ。共謀罪法が通った日、私は高校時代のボーカルを思い出していた。友人はあまりに無力なのに、叶いもしない夢を見ていた。友人はイラク戦争を止められなかった。小泉純一郎が彼女の手紙を見ることもなかった。それでも友人は、ただ単にずっとムカついていた。そんな友人の無力さを意味がないと切り捨てて怒られた私はムカつくやつだったんだろう。メールをもらった後に、自分が安全圏で適当なことばかり言っていることに気がついた。人質の3人が帰国できたときには、内心ほっとした。
友人は無力だったのに私を変えたし、無力だったから彼女のことを今でも忘れないでいるのだろう。やっぱりCafé Kyoboを誰か一緒にやってくれないかな。できそうにもないことのためにムカつくことは、大切な仕事である。