椿が見せた「与える」ラップ、COMA-CHIが見せた下世話で明るいエンターテイメント
一方、第1回大会からもっとも大きな変化を見せたのは前回初戦敗退経験者であり、今大会の優勝者である椿だろう。シンデレラMCバトルのエントリー者には「女性だけのバトルだから応募した」という人も少なくないが、彼女は以前から多数の男女混合の大会に参加しており、第1回開催の時点では、あまりこの大会への参加に乗り気ではなかったという。
椿 vs FUZIKO/CINDERELLA MCBATTLE VOL1(2017 1.29)
しかし、前回1回戦敗退という結果を受けた彼女は、バトルにおけるスタンスを考え直した上で今大会に挑む。
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それからもう考えに考えて色んな交流もあって、辿り着いた結果が「何か与えなくちゃいけない」。自分がただ吐出するだけじゃなくて、「なめんなよ」みたいなバイブスを全開にするんじゃなく、自分で役割は教えてあげなくちゃいけない、背中を見せなくちゃいけない、と思って今回は前回とは全く違うモチベーションで出場させてもらいました。
(引用元 モデルプレス:2代目“女性No.1MC”椿が辿り着いた境地 敗戦から変わったこと・ラップをやってきてよかったこと…<CINDERELLA MCBATTLE インタビュー>)
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その言葉通り、準決勝のCHARLES戦では「おまえCHARLESとして、ちゃんとラッパーとして歩き出せ」。決勝のまゆちゃむ。戦では「さっきから見てるけど本当に成長したな」と、後進を諭すような言葉が耳に残った。
そうした椿の変化を映すかのような試合が繰り広げられたのが第2回戦にあたるMC Mystie戦だ。もともと言葉で人を傷つけることをよしとしないMystieは、バトルの間中も常に相手を「あなた」と呼び、どんな場面でも言葉を荒げない。
そんな彼女に対し、椿も終始少しほほえみを浮かべながら「出来ればグラミー賞はあなたに取ってほしい でも今日の優勝だけは絶対に譲れない」と語る。
これを受け、延長戦でMystieが放った「この二人のこの試合のこの今の瞬間こそがアート」という言葉は、この日のこの2人だからこそ生まれ出た敬意と敬意の交わし合いの最たるモノだろう。勝敗という枠組みを超えて生じる対話としてのラップ。
そして、黒いTシャツに黒のジャージと黒のキャップに細い体というストイックな出で立ちの椿と、巫女のような衣装を着こなした恰幅のいいMystieが並ぶその姿は、異なる文化をバックグラウンドに持つ人間同士が、音楽を通じて同じ土俵に経つことの面白さを見せつけるかのようだった。
こうしたドラマ性の強い内容のほか、もうひとつ面白いバトルがあった。それはCOMA-CHIvs広崎式部 aka ASuKaだ。
この日もまゆちゃむ。の口から憧れの対象として名前があがったCOMA-CHIは、存在そのものが日本における女性のヒップホップの歴史の一部である。「バトルで勝つことより場を盛り上げることを考えて参加した」という彼女は、今回はそのヒールっぷりを見せつけた。
「あたしの方がGカップ あんたペチャパイ」などの下ネタdisを仕掛けつつ、「広崎式部 初めて来たハーレムの広さにビビる」などの固い韻で勝利した広崎式部 aka ASuKa戦。MCバトルでの下ネタは、使いどころがうまくないとむしろ客を白けさせてしまいがちだ。特に、女性の下ネタは「会場は沸くが安易なdis」と見なされる傾向にある。
しかし、自然体のままくだらない下ネタを仕掛けるCOMA-CHIの姿には、むしろ立場に縛られない気さくな人柄がにじんでいて「お前ブラしてるから立ってるだけやろ 頼むでホンマ」と返す広崎式部 aka ASuKaの反応も含め、バトルの面白さはストイックな生きざま合戦のみではないし、むしろ下世話さを楽しんでもいいということを実感させたと思う。
「これだから女は」「女であることを活かせ」という声を蹴散らして
COMA-CHIvs広崎式部 aka ASuKaの試合を見ながら、女性ラッパーがMCバトルに参加する際にしばしば観客から浴びせられる言葉について考えていた。
それは「すぐに下ネタを使う」「すぐに容姿のdisに走る」の2つだ。
たしかに今大会でも下ネタは散見された。また、第2回大会に先駆けて開催された女性のみのMCバトル戦極女帝杯では容姿に対するdisもいくつか記憶している。
戦極女帝公式ダイジェスト/戦極女帝杯第一章(2017.3.25)
しかし、ここで留意しておきたいのは、こうした言葉は社会そのものが女性に対して投げかける言葉の反映であるということだ。実際、大会の直前に出場者の写真一覧を見て「ブスばっかり」とTwitterに書いたヘッズもいた。参加者のほとんどが男性ラッパーである他の大会において、あえてこうした出場者への容姿をdisる言葉が投げかけられるところは見たことがない。
また、以前、大学生ラップ選手権というイベントで男性ラッパーが女性ラッパーに対し、「男はいつも入れる側 女は入れられる側」とラップして炎上したこともあった。社会に未だに存在する差別的目線がバトルの場にも持ち込まれているのだ。
容姿disや下ネタが安易な罵倒として流通してしまうのは、女性たちが常にそのような言葉にさらされ、傷つけられてきた証でもあることを、観客も含めて関わる人間は改めて認識しておくべきだろう。だからこそ、女性ラッパーが同性に対してそうした罵倒を使う姿は見ていてより悲しい気分になるが。
シンデレラMCバトルにおいて、COMA-CHIvs広崎式部 aka ASuKaの下ネタバトルが笑いとして成立したのはこうした性差による搾取が両者の間に存在しなかったからだ。イーブンな関係性の中でなら、女性の下ネタもエンタメになる。男性vs男性の下ネタがしばしばそうであるように。それでバトルを勝ち上がれるかはまた別の問題だが、少なくとも「性を題材にした表現を行使する権利は女性側にもある」というのは主張しておきたい。
また、「女であることを利用した下ネタはみっともない」という声と共に、「女であること」を求められるのも女性ラッパーの面倒なところだ。実際、今回の試合の実況の様子をSNSで確認したところ、「もっと女性であることを活かしてくれなきゃつまらない」といった感想も見受けられた。
しかし、ここで言う女性らしさとは何だろうか。見た目の話か? 性に関わることか? 生活習慣か?
たとえば、ぱっつんvsCHARLES戦では、出産からのバトル復帰が広く知られていたCHARLESに対し、「子供置いてここに来る親なんだろお前子供の面倒ちゃんと見ろよ」と言うバースが飛び出し、それに対して「育児というトピックは女性ならでは」といった類の言葉が見られた。これは、第1回にYasco.vsMC MIHO戦において「仕事vs育児」という対立のバトルの際にも言われていたことだが、私はそもそも「育児が女性ならではのトピックである」という感覚にまず賛同できない。もちろん、それは育児が女性の役割とされがちな現実の反映でもあり、そういった現実を可視化する力こそがラップの面白さでもあるのだが。
K DUB SHINEの「自分が自分であることを誇る」は、日本語ラップを代表するような名ラインだが、女性アーティストはしばしば自分であることの前に「女であること」を求められる。
しかし、ビキニ姿でステージに立ち、自身のセクシーさを誇りながら芯のあるライブをするMCビキニa.k.a藤田恵名も、全身黒に身を固めながらラップの中からにじみ出るストイックな美しさで観客の胸を打つ椿も、それぞれが表現者として自分らしくあろうとしているに過ぎない。
藤田恵名「私だけがいない世界」 @下北沢MOSAiC 2016/12/13
椿「遺言」 produce by NEZUMI
「女性だけのバトルなんて出場者はカテゴリに甘えてるだけではないか」という声も見られるシンデレラMCバトルの大きな意義はこうした多彩なスタイルのMCが一堂に会し、自身のあり方を見せつけることが出来ることではないだろうか。
それは、たとえばフリースタイルダンジョンにおいて、サラリーマン風の見た目のDOTAMAや、いかにもナードな風情のR-指定が人気を博したことで、ヒップホップの多様性を示したことにも通じるかもしれない。憧れのバリエーションが増えるほど、参入しようとするプレイヤーも増えるはずだ。
多様性の先にしか文化の発展は存在しない。この先の女性ラッパーの未来のためにも同大会の発展を期待したい。
(池田録)
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