このような状況に陥ったのは、市民ひとりひとりが「民主主義」について深く考えてくることも、本当の意味で政治に参加することも無かったからです。そしてそうなったのは、市民が民主主義や政治について深く考え、政治に参加することのハードルが異様に高い社会だったからです。たとえば、ひとつの地域から複数名の政治家が生まれる中選挙区制から、少数政党が排除されやすく、投票しても死票が多くなる小選挙区制への転換は、市民の政治への無力感を高め、政治との距離をさらに大きくするものでした。世襲政治家の台頭は階級上位層による寡頭独裁(独占)的な社会になっていく日本の状況そのものです。市民と政治との距離はますます遠のいていく一方なのです。
ジョン・デューイという名前を聞いたことのある人は、日本ではあまり多くないでしょう。20世紀初頭にアメリカで活躍した教育学者で、民主的な社会、文化的な社会の維持・発展のために教育は何ができるのかを提唱し続けた人物です。彼の主張で最も重要なのは「プログレッシブ教育」でしょう。「実用性」のある科学的知識や技術を持つエリート育成に注力していた冷戦時代に忘れ去られた教育の在り方ですが、画一的なエリート育成や労働者育成のための教育ではなく「一人一人が幸せに、着実に生きていくため」の教育ともいえるものです。彼の思想は世界中の教育者や研究者にも影響を及ぼしました。現代では、プロジェクトベースの実験的学習方法や、グループワーク、アクティブラーニング、一人一人のためにデザインされたカリキュラムなど、様々な形で実践に移されています。しかし、デューイのプログレッシブ教育で最も重要な点は、「子どもを中心にした教育」「多様性の尊重」「カリキュラムが実社会で役立つ知恵と連動するもの」など、民主主義教育に重きを置いたものであるということです。
デューイにとって教育とは一人一人が社会の在り方を共有し、参加するために不可欠な、社会を維持するために不可欠な機能です。そして、まだ成熟していない、社会のメンバーである子どもの成長を助ける学校は、大人たちが知識や技術を子どもたちに授け、世代を超えて社会を維持するための仕組みであり、学校の在り方は、社会の在り方にダイレクトに影響するのです。
大人が子どもに教えるべきは、科学的な知識や技術、読み書きだけではありません。望ましい社会の在り方、より良い社会の求め方、自分が住みたい社会の在り方、そういったことを考える手助けもする必要があるのです。
これは家庭だけで行うのは難しいことです。それぞれの家庭、国家や家族、人との付き合い方や、労働、文化といったものに対する考え方は異なります。たとえば「日本人が一番偉い。外国人は出ていけ」と思っている両親に育てられた子どもでも、外国の生徒も学ぶ学校では、親がどう思っているかに関係なく、お互いに協力しながら生活していく必要があります。そうした環境で学ぶことで「日本人と外国人に優劣はあるのだろうか?」と、考えるきっかけができるだけでも、子どもたちがより広く深く社会について考える契機になります。また、学校で「民主的社会」の在り方や、そういう社会をどう実現するのかを学んでいけば、親世代の抱える偏見を乗り越えて、より良い社会を作る新しい世代として、自分たちで考え、声を出す、新たな市民となっていくことができるはずです。
安倍政権は「学校教育は中立であれ」という指導を行っています。これは中立を装いながら、実際には学校で政権批判を許さないという指導です。今の政治や社会の在り方を変えるには、「学校教育の中立性」などという詭弁に騙されることなく、学校が活発に政治や社会について考える場所となっていく必要があります。
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