なぜ「精液の噴射」をほのめかすCMが作り続けられるのか

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「いま流行のジェンダーフリーで行こう。変なオバハン、オバチャンらが、明治以来の欧米白人崇拝熱のまま、欧米人らの説の後に付いて回っただけの話なのだが、騒ぎに騒いだ結果、なんと同性婚を認めろということになってきた」

(加地伸行・大阪大学名誉教授『正論』2017年8月号)

 上記で引用した妄言については後で説明するとして、それにしてもなぜ、「精液の噴射」の暗喩がこれほど頻繁に公的なものに持ち出されるのだろう。それぞれの事案ごとに異なるはずだが、「最終的な決定権をオッサンが握っているから」という推察はおそらく正しいのではないか。エロの要素を、本来エロが求められていない場所に投じてみる、という意外性はどのジャンルの創造物にも見受けられるが、問題なのは「エロ」が投入されているだけではなく、圧倒的に男性主導のエロが公的なものに投入され、女性をあからさまに軽視していることにある。もちろん、これで喜ぶだろ、と思われている男性をも軽視している。

 どういうことか。ここで先ほどの引用である。1936年生まれの名誉教授のおっしゃる「ジェンダーフリー」の認識はこう。どこが間違っている、というか、全て間違っているのだが、ジェンダーフリーの議論を重ねる人々を「変なオバハン、オバチャンら」に絞り、若い女性を除外している。心底こういう思考でいるのだろう。つまり若い女性は、女性としての権利を訴えない、と思っている。慣例に付き従うのが正しい女であって、それを少しでも問い質そうとする働きかけを見つければ、「オバハン」のせいになる。

 物申さない女しか女と認めない男の頭脳で、同性婚がどういうものかを解説すれば、「早う言えば、オッサンとオッチャンと、またはオバハンとオバチャンとの同棲。老生には理解を超えるが、この同棲を法的に婚姻と認めろという」となる。若輩の理解を超える老生の意見だが、若輩から老生に向けてかける言葉を探し出すとすれば、「たとえ自分の理解できないことであっても、受け止めてみようとは思いませんか」という、学校の先生みたいな、どこまでも優しく丁寧なアドバイスである。

「平等平等、あぁうるさい!」

(藤原正彦『管見妄語 とんでもない奴』新潮文庫・オビ文)

 書店の文庫コーナーで見かけて、思わず舌打ちしてしまったのが、『国家の品格』などの著書で知られる藤原正彦の新刊文庫に書かれていたオビ文である。「週刊新潮」で長年続く連載エッセイをまとめた本の文庫化だが、このオビ文がどのエッセイに依拠しているかといえば、20131024日号に掲載された「『平等』は小うるさい」である。

 相続について婚内子と婚外子の間に差が生じている現行法を、最高裁が憲法違反であると判断したことを受けてのコラムだ。藤原は「諸外国で格差がないから日本でも、とは不思議な理屈」であって、なぜならば、イギリスやフランスでは2人に1人が婚外子なのに対して「日本では45人に1人と極めて少ないからだ。まったく異なる家族観を持つ日本に欧米と同じ相続法を適用しようというのは腑に落ちない」と書く。

 「腑に落ちない」は、こちらのセリフである。その違憲の論旨は、「子にとって自ら選択ないし修正する余地のない事柄を理由としてその子に不利益を及ぼすことは許されず、子を個人として尊重し、その権利を保障するべきである」(週刊金曜日・2013年9月13日)というものだった。パーセンテージの低さで問うべきことではない。平等を求める声に対して、何でも平等って言うんじゃない、で片付けること自体が不平等の残酷さを教えてくれるが、それこそオビ文がそうであるように、何でもかんでも平等を主張しやがって、という見解は、多くの人を「確かに」と軽々しく納得させやすい。

 藤原は、「平等」は小うるさい、という。そして、こう続ける。

「女系天皇はこれだったし、外国人参政権もこれだ。議員定数の格差に関し最高裁が違憲どころか選挙無効とまで判決したのもこの平等ゆえだ。『平等』という定義不能な言葉を出発点に、良識や慣習や伝統への配慮なしにぐいぐいと合理的に進んだら国柄はズタズタになる」

 日頃、こちらが「あぁうるさい!」と言いたくなるのは、平等ではなく、むしろ、年配者が保守しようとする「良識や慣習や伝統」である。日本ではまだイレギュラーだから相続に差をつけたままにしなきゃという姿勢も、その3つからもたらされている。

 加地伸行・大阪大学名誉教授によるジェンダーフリーや同性婚の定義を、今一度思い出して欲しい。ああいった「良識や慣習や伝統」が、「フリー」や「平等」を目指しにくい環境を作っている。若い女性を使って「精液の噴射」をほのめかすCMを作ることと、権利を主張した途端に「変なオバハン、オバチャン」と変換されることに関連性はないのだろうか。若い女は男に従順であれ、との姿勢を滲ませるのはいい加減やめたらどうか。いつまで繰り返すのだろうか。いつまでも繰り返すのだろうけれど。

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