まず「カネ」が原因で離婚したくてもできない妻の存在を紹介した上で、なぜかそのカネを得る手段である「社会的機能(仕事とそれに伴う社会的責任」を、“背負う”という表現を使ってネガティブに捉えている点だ。
確かに「社会的機能」には“背負う”要素も多々あるのだろう。だが、問題は愛情のない夫と離婚できないのは、女性が「社会的機能」から排除され、「カネ」を手に入れられないことであり、安冨氏もこの点を指摘していたはずだ。にもかかわらず「社会的機能を背負うことなく家庭内で男女同権を享受している」と、あたかも女性が好き好んで社会的機能を背負わず、家庭内ではしたり顔で夫と同じ権利を行使しているかのように記述している。
さらに別のページでは、愛情が憎しみに変わったとき、夫が妻に暴力をふるうケースだけでなく、夫に対してモラル・ハラスメントを行う妻もおり、「家庭内ではモラハラに耐えて、外では重労働に明け暮れる夫たち」が、心から愛する人(不倫相手)と出会ったとしてなぜそれを責められるのか、とすら書いている。もちろん“傍若無人な妻”に苦しめられる夫も世の中にはいるだろうし、こうしたケースがまったくないというわけではないだろうが、社会構造の問題点を語りながら、こうした記述を重ねていくのが適切だとは到底思えない。
またこの記事では、男性が「社会的機能」を行使している間、女性が家庭内でなにもしていないかのような想定がなされていないだろうか。正規雇用で働く女性であれば「社会的機能」を行使していることになり、「男性に負担が集中している構造」はあてはまらないし、専業主婦であれ非正規雇用の兼業主婦であれ、一部の「社会的機能」を行使しつつ、主婦として家庭で家事育児などを行っていることになる。
なお近年は家事・育児に参加する男性が増えつつあると言われているが、筒井淳也『仕事と家族』(中公新書)によれば、いまだ夫婦間での家事時間は妻の方が多く、さらに高負担の家事を妻が担っているのが現状だ。決して「男性に負担が集中している」わけでもなければ、女性がなにもせずただただ「家庭内で男女同権を享受している」というわけでもないだろう。
タイトルからして、「社会的機能」を与えられずにきた女性たちが、男性を「金ヅル」のように扱っているかのようでミスリードになっている。これまであえて安冨氏の言葉を借りて「社会的機能」と使ってきたが、「家庭」もまた社会の一部のはずだ。それを「社会」から排除していること自体が、女性を排除しているに他ならないのではないだろうか。安冨氏は男性に対してこの記事を書いたのかもしれない。しかし女性を軽視するような記述や男性の生きづらさのために女性の地位を向上しようとする認識はいただけない。それでは結局のところ、女性の地位向上は副産物でしかないことになり、この構造は変化しないという結果になってしまうように思えてならない。
(Wezzy編集部)
1 2