産む派・産まない派で争いたいわけじゃない/犬山紙子『私、子ども欲しいかもしれない。』

【この記事のキーワード】

“その人の選択”を、手のひらで包み込んだ本

「子どもを持つこと・持たないこと、そしてそれについて思い悩むこと」というのは、とても繊細なテーマです。それを都合がよく飲み込みやすい形にぎゅっと握り固めてしまったり、「これが幸せだ」「これが不幸だ」と読者に向かって勢いよくぶつけてしまったりするのは、一冊の本の“書き手”という力を持った存在にとって、あまりにもたやすいことのはず。ですがこの本からは、著者が自身のもとに寄せられた“どうしよう”の声を、そしてそれぞれの選んだ生き方を、最大限の敬意と思いやりを込めた手で包み込み、読者の元に届けようとしてくれていることが伝わってきます。

「どうして子ども産まないの? せっかく女に生まれたんだから産みなよ」。できればあまり聞きたくない言葉だなと思っても、そういうことを言う人はほとんどの場合が「善意の人」なので、黙ってやりすごそうと思ってもなかなかうまくいきません。かといって「家庭環境のせいで、自分の遺伝子を後世に残したいと思えない」「自分が母親になることに耐えられないし、子どもに自分の影を見たくない」「身体が弱く、妊娠や出産で体調や精神面での変化に耐えられる気がしないし、子どもにも体質が遺伝するのではないかと不安」といったそこそこ重たげな理由を説明しようものなら、相手にいらぬ気を遣わせてしまうことが目に見えていますし、「無神経なことを言ってしまったのでは」と嫌な思いをさせてしまう恐れがあります。それに、子どもが欲しいと思っている人や、実際に子どもを産み育てている人たちが聞けば、自分たちの生き方を否定しているように感じられる言葉かもしれません。

子どもを産み育てるという誰かの選択を否定するつもりはないし、自分が子どもを産みたいと思えない状況について、同情をしてほしいわけでもありません。こちらの事情に土足で踏み込んでもらいたくないだけで、変に恐縮されたいわけでもないのです。ただ、こういう考え方・感じ方の人間がいることを認めてほしい。人類なんて滅んでしまえと思っているわけではないし、子どもだって嫌いではありません。子を産まない自分たちにできること、逆にしてほしくないことがあるなら、それをできる限り知らせてほしいし、学んでいきたいと思っています――こんなふうに話をして、自分の状況や思っていることを過不足なく伝え合うというのは、とくに自分と相手が異なる選択をしている場合、なかなかに難しいことなのだと思います。

この本のカバーには、ベンチに腰掛けて談笑する女性たちのイラストが描かれています。子どもを連れている人、連れていない人とさまざまな立場の女性たちがいる中で、ひとりだけ、誰とも会話をすることなく、スマートフォンの画面を見つめている女性がいるのです。きっと彼女は、すぐそばにいる見知った人ではなく、どこか離れたところにいる、顔も知らないような誰かと対話をしているのでしょう。目の前にいる人には、言いにくいこともある。だけど、画面を隔てた先や、ページをめくった先でなら、伝えられるし、受け止められることだってあるかもしれない。自分の選んだ道と、他人の選んだ道。ひょっとしたら交差することすらないかもしれない両者を、尊重し、信じさせてくれる誠実な手のひらによって、この本は書かれていました。

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