男子は弱音を吐く訓練をしよう。社会の意外な柔軟性に気付いたら、生きやすくなる――トミヤマユキコ×清田隆之『大学1年生の歩き方』

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女子のお茶は、ちょっとした心の切り傷を癒すための文化

清田 「つらい」とか「しんどい」とかの感覚だけはあるんだけど、その捉え方がものすごく低解像度というか、どのようにしんどいか、なぜしんどいかを本人は具体的に認識できていないってことですよね。だから他人に上手に相談したり愚痴をこぼしたりすることもができず、でも人前では気を張って普通にしていないといけないから、なんとなく誰も気づかず、自分も把握できず。放っておくと病気が重篤化するみたいに、きつさがどんどん増していって、臨界点を超えるとドロップアウトっていうことがあると思う。

トミヤマ ドロップアウトする学生って、周りに何も言わないでひとりで決めてしまう子が多いんですよ。あとは早稲田大学だからというのもあるかもしれないんですけど、親の期待を一身に背負っている子たちがすごく多くて、「親のガッカリする顔が見たくない」って言うんですよね。それは見ていてすごく辛そう。

清田 マジメなタイプなんだよね……。

トミヤマ そうなんだよ〜! 「先生、最近しんどいんで話聞いてください、ついでにサイゼリヤも奢ってください」とかずうずうしく言えちゃう子だったら、うまいこと軟着陸できたのでは……という気もするので、やっぱり弱音を吐くのも訓練が必要なんですよね。特に男の子はそうだと思う。女の子は恋バナとか、昼から集合してお茶を飲むっていう文化があるじゃないですか。でも、よく考えたら、お茶って結局何してんだよって話ですよね。意味なく集合し、特にオチのない話をし、みたいな(笑)。でもそこで、ちょっとした心の傷みたいなものはある程度癒えるわけです。本当に重傷のときは男も女も大変ですけど、日常の切り傷レベルのときに何ができるかっていうのが、男と女ではおそらく違っていて。女子はだいたい小学生くらいで「とりあえずなんかあったら集まって喋る」という習慣が身につくパターンが多いので。

清田 女同士のお喋りって「オチのない話をダラダラと」ってレッテルを貼られがちだけど、本当はああいう対話が男の人には一番必要なんだと思う。相手が何を考えていて、相手の身にどういうことが起きていて、とかを交換し合うやり取りが存在(beingを認め合うということだと思うんだけど、男社会はあまりそういうことを重視しない。ただそこにいるだけじゃ意味がなくて、“行動(doing)”、つまり何ができるかを重視する価値観に支配されている。女子がbeingを認め合うコミュニケーションを小学生のときからやってるとなると、大学に入るころには男女で大変な差がついているわけで。

――いわゆる「コミュニケーション能力」というものでしょうか。他者との距離の取り方や、気持ちの察し方などがかなり違ってきてしまうと。

清田 そもそも、男子と女子がイメージしている「コミュニケーション能力」って、絶対に別物だよね。男子のイメージするそれは「場を盛り上げる力」に近い。

トミヤマ バラエティ番組の司会か、ひな壇芸人のどっちかならOKってことですよね。それって女子のコミュニケーションにおいては求められてないかも。

清田 例えば知り合いに「ザ・男子」みたいな人がいるんだけど、彼は自分の気持ちを他人に話すのが怖いんだって。深みがないというか、「その程度なんだ」「そんなことがしたいんだ」って思われてしまうのが怖くて、欲望とか希望を表明したり、感情を説明したりすることができないらしい。だから、映画の感想とかを話すときにも「自分はここでグッときた」じゃなくて、「このシーンあの監督っぽいよね」とか、情報の方に走ってしまう。それってある意味、自分のbeingを隠して守る行為でもあるよね。だからいつまでたってもbeingが空洞のままになってしまう。

トミヤマ 大学という場は、そういう思い込みをどうにかできる場所なんですよ。会社組織ではないし、先輩後輩の関係もゆるいし。そこで「いろんな人がいるんだな」って思ってもらえれば、「こうでなくちゃいけない」という思い込みも少しは減るし、社会に出たときも、ある程度は楽にやっていけるのではないかなと思います。

キラキラ学生ってある意味究極のdoing人間だから、そのdoingがなくなったときに自分を支えられなくなるかもしれないなと思ったりします。でも、逆にドロップアウトしちゃう人って「俺のbeingはもうダメだ」って感じで、beの部分に関してものすごく卑屈になっているので、そういうときは「じゃあ、beは置いといて、doだけでもやってみたら?」って言いますね。そしたらちょっとbeも持ち直すかもしれないよって。そして、doingbeingバランスを一番取りたがっているのが普通の人たちなんだと思います。

だからある意味、中途半端であるがゆえに人生を最も豊かに生きる可能性があるんですよ。キラキラでもなくアウトローでもなく、中途半端を超真剣に考えてくれたら、最高だと思います。上を見て嫉妬することもないし、下を見て馬鹿にすることもなくなりますから。中途半端な自分を全肯定してそこを磨いていくというか、半端な自分を愛でていくということができたらいいんじゃないですかね。

THE・男子たちは怖がり/清田隆之さん

THE・男子たちは怖がり/清田隆之さん

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