月間15億PVを誇るケータイ小説サイトを「廃れた」と言えるのか

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ケータイ小説サイトの月間PV数は15

 たとえば単純に数だけ見ても、ケータイ小説サイトの利用者数は多い。

 会社側の公開情報によれば、2017年現在、「魔法のiらんど」の月間ユニークユーザー数は250万人、「野いちご」は20161月時点で70万人(※1)。そして、「魔法のiらんど」の月間ページビュー数は15億だという。

 月15億といえば、小説投稿サイトとしては国内最大手であり、数々の商業作品を生んでいる「小説家になろう」と並ぶ数だ(※2)。これが「廃れた文化」「風前の灯」と言えるような数だろうか。だって、あの「東洋経済オンライン」が月間2億ビューなのだ(※3)。15億ビューで風前の灯だったら、しがないフリーライターの私も、本稿の担当編集者K氏も30回くらい灰になっていないとおかしい。

 当たり前だが、PV数がひとつの文化の強度や規模を規定するものではない。ただ、サイトに人が大勢来ていて、運営会社の経営もそこまで危なげなく(4)、毎月コンスタントに書籍化がなされているこの状況に、「文化が廃れた」という表現はやはりふさわしくないのではないか、とは思う。

「地方の少女文化」は、スマートニュースじゃ拾えない

 なぜ大人は、安易に「ケータイ小説文化は廃れた」なんて思ってしまうのだろう? 理由はふたつ考えられる。ひとつは単純に、ケータイ小説の対象年齢を超えたことで、若年層の文化への関心が減ったから。そしてもうひとつは、以前は物量的に視界に入らざるを得なかったケータイ小説が、視界からサッパリ消えたからである。

 ケータイ小説の流通量は、2000年代末に急減した。私は2005年から2011年まで地方の大型書店で働いていたので、その変化を体感レベルで知っている。上司とふたり、Yoshi著『恋バナ(赤・青)』(スターツ出版)の超大量搬入にうめいたのが2005年夏のことだ。その後、2010年になると平台にケータイ小説の姿はなく、代わりに我々が積んだのは300冊の『KAGEROU』(ポプラ社)であった。

 でも早とちりしないでほしい。目につくところから消えたからといって、「ケータイ小説が消えた」わけではない。2000年代後半以降、ハードカバーではなくおもに文庫体裁で書籍化されるようになったケータイ小説は、文庫棚の片隅でひっそりと、しかし着実に販売され続けていた。そして棚の前には常に、ケータイ小説を立ち読みする少女の姿があった。そう、少女たちは引き続き、ケータイ小説を消費していたのだ。

 そもそもケータイ小説のコアユーザー層は、1020代の女子である。しかもそのうちのかなり多くを、地方住みの女子が占めると思われる。書籍化されたケータイ小説が都心より地方でよく売れることは、前述の「ホウドウキョク」に出演している速水健朗氏や(※5)、『ケータイ小説のリアル』(中央公論新社)を書いた杉浦由美子氏も指摘しているところだ。

 ねとらぼの記事では、都内の女子高生にケータイ小説を読ませて感想を聞いている。しかし、「インスタで調べたオシャレなカフェに行く女子高生」というのもまた、ケータイ小説文化とはそもそも縁のない層ではないか。ケータイ小説文化を支えてきたコアユーザーは昔から、インスタジェニック度ゼロのシケた喫茶店か、イオンしかないような街に住んでいる女子なのである。彼女たちは、おもしろいケータイ小説を読んでもツイッターでシェアしたりしないし、書影をインスタで撮ることもない。

 故に彼女たちと、我々インターネット中年層との接点は絶無に近い。彼女たちの間で分かち合われている文化は、中年層の観測範囲外にある。つまり、私たちが都心で働き、同世代とつるみ、書店でビジネス書のコーナーをうろつき、スマニューの更新をチェックしているくらいでは感知できないのである。

 ケータイ小説の「文化」は廃れていない。廃れたのはあくまで「(大人が普通に暮らしていても感知できるレベルの)社会的ブーム」だ、というのが私の見方だ。量産体制としては、むしろ今の方が安定している。ケータイ小説ウォッチャーとしての印象を述べるなら、文章やストーリーテリングの質も今の方が高いと思う(昔に比べれば)。これはむしろ、「ケータイ小説ブームは去ったが、ケータイ小説文化自体は定着した」と見るべきではないだろうか?

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