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世界と闘うお姫さまも“マンスプレイニング”の標的になる/『ゲーム・オブ・スローンズ』第7シーズン

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 ニューヨークタイムズの2010年のワード・オブ・ジ・イヤーに「Mansplaining(マンスプレイニング)」という言葉が選ばれた。マンスプレイニングとは、女性の意見には信頼がおけず彼女たちは定見を持っていないという先入観をもって、男性が女性に対して自然に上からものを言うことである。時にはその分野の専門家に対してすら相手が女性であれば彼らは躊躇なく講釈することすらある。

 これを読んでいる女性の皆さんも覚えがないだろうか。あなたが自分の経験や専門領域に則して自分の意見を話しているのにそれを男性に平気で遮られ、付け焼刃の知識を披露されたことが。そしてあなたはそれに抗議することができただろうか? 多くの人はできなかったと思う。なぜなら男性のそういった態度を周囲が許容していて、あえて波風立てることは社会が女性に期待する態度に反しているからだ。もし彼の言葉を再び遮り、言い合いの様相を呈したら悪目立ちするのは女性の方だろう。

 それを考えるとサンサは相手に面倒な存在だと思われることを恐れずによくがんばった。思えば彼女は始終つきまとってきて権謀術数の教えを一方的に説いてくるリトルフィンガーからもマンスプレイニングを受け続けている。しかもサンサの意見を軽視するのは何も物語世界の中の人々に限らない。

(ここから第7シーズンまでの展開について言及します。気になる方は本編をご覧になってからお読みください)

 第7シーズンの初回、終盤でサンサは王位に就いたサーセイの冷酷さをジョンに説く。それに対してジョンは「まるで彼女を賞賛しているようだ」と不満をもらすのだ。私が気になったのはこれを見ていた視聴者たちの数少なくない反応である。

「確かに(敗れたラムジーを残忍に殺した)サンサはサーセイに似てきている」「闇落ちしたねサンサ」「サンサにはもっと優しくなってほしい」……。

 私は正直がっかりした。あなたたちはエダードがあんな形で死んだことも、ジョン・スノウがラムジーとの戦いでサンサの忠告を聞かなかった結果どうなったのかも、ちゃんと見てきただろうに! 敵の強みを分析することが相手を称賛することになるのだったら、客観的な戦略など立てられないではないか。確かに彼女は幼い少女のころ、サーセイの見せかけの美貌や気品に憧れていた。しかしあれだけの仕打ちを受けてなお彼女が人として成長せずに、ただサーセイの後を追うとみなすのは彼女という人間をあまりに軽んじてはいないだろうか。

 彼らがなぜサンサがサーセイに似てきていると思ったのか、それはジョン・スノウがそう言ったからだ。Bastardsの闘いでサンサがリトルフィンガーに加勢を頼んで救われ、結果「ラムジー、お前は明日死ぬ」という彼女の言葉がその通りになったにも関わらず、彼らはサンサよりもジョン・スノウの言葉を物語上の真理として受け止める。それは彼が主人公ステレオタイプに当てはまるからだ。若く、ハンサムで、正義感の強い、“男性”だからだ。対して、サンサは長い髪にフェミニンな容姿の“女性”である。もしサンサとジョン・スノウの立場を入れ替えたら彼らはこう言うのではないか。「ジョン・スノウも経験を積んで成長した」「統治者には冷酷さも時には必要」「サンサは女の子だからわからないんだろうね、もっとジョン・スノウの言葉を聞いてほしい」と。

 いかにも統治者のステレオタイプに当てはまる人物がもう一人いる。悲劇の元主人公エダード・スタークだ。彼が判断を鈍らせたのはその優しさからだとよく言われる。しかし私は、その原因が女であるサーセイを敵にならないと見くびったことにあるのではと考える。

 サンサがジョン・スノウに苦言を呈そうと「あなたは人の心をつかむのがうまいわね。誰よりも剣の腕前がある、でも……」と言いかけると、彼は「父がよく言っていた、でも、の後にくる言葉はクソだって」と遮る。それに対してサンサは「私たち娘にはそんなこと教えてくれなかった。私たちにはこの世界の厳しさを見せたくなかったのね」と答えた。しかし女だからと言ってサンサはこの世の地獄を見ないで済むことはできなかった。いやむしろジョン・スノウより過酷な現実を見せられ続けたと言える。エダード・スタークは娘たちにこそ教えるべきだった、世界との闘い方を。

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