更新されない大企業の価値観
これらは私の妄想ではなく、私が電機大手の正社員であった1990年代の10年間の実経験であり、社内で耳にした会話であり、自分にぶつけられた言葉であり、さらに地域社会や血縁社会の中で聞いてきた言葉そのものでもある。思い返して、絶望的な気持ちになる。いかに男性社会は強固で変わりがたいものなのか。
私が小学生・中学生だった1970年代、親にあたる世代には、同じ企業で働き続ける独身の女性同僚に対して「家庭の苦労がない分だけ不当にラクをして仕事で成果を上げられる」という憤懣の陰口を吐き散らす男性もいた。その男性は戦争で父親を失い、辛酸を舐めつつ大学を卒業して就職した。残された母親を養いつづけることは、男性にとっては疑いの余地もない必然だったが、結婚すると家庭は深刻な嫁姑の対立の場となり、男性が安らげる場とはならなかった。しかし、その独身の女性同僚も、戦争で父親を失っており、母親を養うために仕事を手放せない立場にあった。男性との違いは、仕事を失わないためには結婚せずにいるしかないという点であった。
焼け跡闇市世代にあたるこの人々は、現在80歳代である。彼ら彼女ら、主に彼ら――高度成長期の男性会社員であった人々――の職業観・家庭観は、ほとんど疑われないまま、現在70歳代に突入しようとする団塊世代へと受け継がれた。現在の50歳代は、1985年の「男女雇用機会均等法」成立の影響を若干は受けているが、既存の企業に就職して定年までの会社員生活を全うしたいと望むならば、焼け跡闇市世代・団塊世代の職業観・家庭観に適応せざるを得ないことが多かっただろう。
かくして、大企業の中の人々の職業観・家庭観は、ほとんど揺るがず、戦前同様に維持されることとなった。そして、今回話題となったツイートを通じて、「まだそんな会社が残っているのか」と驚かれることになる。私から見れば、驚くべきことではない。必然だ。
すでに聞こえる「自己責任」の声
冒頭の女性エンジニアの詳細は分からない。しかし30代と思われる彼女は、おそらく事実上の「定年」に達してしまったのだ。その前の数年間は、事実上のシニア期にあったのだろう。男性会社員には、概ね45歳以上で、業務と責任だけが増えて報酬は増えなくなり身分の不安定性の高まるシニア期が訪れる。男性社員との激しい賃金差が語られているところを見ると、彼女は20代でシニア期の男性社員と同じ処遇を受けていたのかもしれない。
そして今、見えていなかった「定年」がやってきた。どこにも書かれておらず、知ることも備えることもできず、労使交渉によって延長することもできない「定年」が。
かつての日本企業に存在した男女別定年は、1966年の日産自動車女子若年定年制事件最高裁判決以後(女性の定年を男性より5年若く定めていた)、明文化された規定としては存在しえなくなっている。しかし現在も、「実体として、さまざまな形で生き残っている」としか言いようがない。むしろ、堂々と明文化されていた時期よりも対処が困難になっているのかもしれない。
女性エンジニア自身は、培ってきた職務経験とスキルを最大限に活かして、まずは自分自身のキャリア継続へと全力を尽くすしかないだろう。将来に、順風満帆ばかりが待ち受けているわけはなく、困難に直面する時も失意の時もあるだろう。そのたびに、現在の勤務先である有名大企業を退職したこと・その企業に就職したこと・そういう職業コースを志向したこと・大学や学部を選択したこと……など過去のすべてを「自己責任」と責める声に苦しめられる可能性がある。高齢期には、会社に迫られて30代で退職したことに関連する貧困を「自己責任」と嘲笑されるかもしれない。
私には、その可能性が見える。というより、私自身が直面しつづけてきている問題だ。そして私には、その可能性を減らすこともなくすこともできそうにない。
ただ、日本労働組合総連合会(連合)の「連合・賃金レポート2016-賃金水準の持続的な上昇へ-」を見れば、日本の女性全体・日本の就労している女性全体・日本の女性個々人が、希望と無縁なこの状況をもたらしているわけではないことが分かる。たとえば6節「標準労働者賃金の推移」で男性労働者の賃金のみが20ページにわたって語られているのに比べ、8節「男女間賃金格差」は10ページしかない。そして、19節「短時間労働者の人員と労働条件」は全12ページにわたって女性がほぼ主役なのだ。
むろん連合は、この状況を「しかたないじゃないか、これが現実だ」と手放しで肯定しているわけではない。日本は、一人の働き手が一家の大黒柱として家族を支えることが、そもそも収入面で不可能な社会になりつつある。一方で、大黒柱の夫・内助の功の妻モデルの家庭も存在する。現在求められているのは、どのような家庭にも新たなリスクをもたらさず、特に子どもの成長や教育にリスクをもたらさずに、「大黒柱」を前提とした制度を変革することだ。しかし、長年の蓄積を持つ賃金制度を急激に変革することは、極めて難しい。どうすれば実現できるのだろうか? 何から始めればよいのだろうか?
まず目先の問題としては、男性も女性も、個人レベルで現実の制約を乗り越える努力と工夫を重ねるしかない。もちろん、社会の問題である以上は社会で解決すべきなのだが、社会に影響と変化を及ぼす機会は多くはない。個人レベルでの自己救済と社会変革の二刀流で、しぶとく生き延びる道を探るしかなさそうだ。
本稿の締めくくりとして、冒頭のツイート主の妹さんである女性エンジニアに、私の経験と今後へのメッセージを伝えたい。
53歳の私はたぶん、彼女と似たような職場環境を経験し、36歳で同じように追い出された。文字通り、心身とも生き死にが問題になるレベルまで追い詰められながら、私は「35歳標準労働者賃金」と自分の年収の差を縮めようとした。職場にタテマエ上は性差別がないことになっているのなら、自分の年収にも性差別はあってはならないはずだ。
結局のところ、その努力によって私は自己都合退職を事実上強制されることになったが、「せめて、源泉徴収票に明示された性差別を、我が目で見よう」と考えた。そして、35歳を過ぎる時点までの勤続にこだわり、36歳で退職した。
彼女には「本当に、よく頑張られましたね」としか言えない。とにかくお互いに、これからの人生を生き延び、生き抜くことが課題だろう。
彼女が高齢になるころ、日本では「年金暮らし」が死語になっている可能性が高いだろう。高齢女性エンジニアとなっているかどうかは分からないが、職業人として活躍しつづける彼女の活躍を、さらに高齢のババアジャーナリストとして眩しく眺めていたいなあ、と私は思う。
女性エンジニアである彼女に、この記事を読んでいるすべての方々に、そして私に、心楽しく充分な長生きのできる高齢期があり、自分の人生を振り返って「よく生きたよね、まあまあの人生だったかな」と満足してこの世を去る幸せな最期があることを夢見ながら、本稿を結ぶ。
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