女の子がムラムラしてはいけないの? イギリス文学における女と性欲

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性欲が無いのにエロく描かれる、近代小説のヒロイン

 わりと性欲旺盛だったイギリス文学のヒロインですが、近代小説が発展し始めるとともに性欲を露わにしなくなっていきます。いったい何が起こったのでしょうか。

 この謎については、近代イギリス小説の始まりを論じた『小説の勃興』でイアン・ワットが興味深い分析をしています。18世紀のイギリスでは個人主義的な倫理観が尊ばれるようになり、理性によって衝動を抑えること、とくに男女ともに性的に純潔であることが「至高の美徳」(ワット、p. 218)と考えられるようになりました。純潔は男女両方に適用される規範なので、仕事や学問で才能を発揮する機会が極めて限られていた女性でも、この分野では優れた模範になるチャンスがあります。

 さらに18世紀末のイギリスでは、宮廷や貴族など上層の階級で性が乱れていると考えられており、ビジネスで富を得た新しい中産階級はこれに対抗する潔癖な性道徳を称揚しました(ワット、pp. 220–221)。結婚についても情熱や欲望ではなく、理性や友情が尊ばれるようになりました。ワットによると、「新しいイデオロギーは女性にまったく性的感情をもたないでもよしとした」(p. 223)そうで、女性が性的なことを口にするのもはしたないこととされるようになりました。

 こうした中でイギリス文学のトレンドを大きく変えることとなったのが、サミュエル・リチャードソンの長編小説『パミラ、あるいは淑徳の報い』(1740)です。亡き女主人の息子B氏に目をつけられたヒロインであるメイドのパミラは、婚前交渉などもってのほかということで誘惑を拒みます。誘拐、監禁しレイプしようとすらしたB氏ですが、結局はパミラの貞淑さに感化されて正式に結婚することになります。今読むと、単なるセクハラクズ野郎のB氏が、改心したとはいえパミラの夫におさまるのはあまりにも強引でずいぶん古い話に思えますが、書簡体を用いたリアルな心情表現は近代イギリス小説の嚆矢というにふさわしいものです。

 パミラのある種の新しさとして、性的な潔癖さがあります。パミラはジュリエットやロザリンドに比べると全然、性欲を示しません。この小説は大ブームになり、模倣作が次々生まれ、大きな影響力を持つようになりました。ワットは史料や先行研究を駆使しつつ、この小説以降の英文学について以下のようにまとめています。

手本であるヒロインは年若くうぶでなければならず、身体的、精神的に非常に繊細でセックスを求めて言いよられると気絶するようでなくてはならないのであった。本質的に受け身で、正式の婚約が結ばれるまでは自分を崇める求婚者になんの感情ももたない、パメラはそういう女性であり、ビクトリア朝時代の終わりまで、物語のヒロインのほとんどはそういう女性であった(p. 224)。

 こんな性欲の無いパミラですが、B氏のせいで何度も性暴力の危険にさらされます。この本を読む読者はおそらく貞操の危機にさらされるパミラの意図せざるエロさにけっこう惹かれて読み進んでいたはずで、発表当時は淫らな作品だという批判もありました。全然、主体的な性欲を持っておらず、女性にふさわしいとされる慎みをたっぷり兼ね備えている一方、外側からの圧力で性的なトラブルに遭いまくる、自分ではエロいつもりが無いのに思いがけなくエロいことになってしまうヒロインの爆誕です。恥ずかしがるエロい処女パミラは、異性愛者男性の性的ファンタジーにとってとても都合の良い存在です。

ヴィクトリア朝のダブルスタンダードから世紀末へ

 この後、ヴィクトリア朝からエドワード朝時代にかけてのメインストリームの文学では、女性が性欲をおおっぴらにする描写は非常に少なくなります。以前紹介した『嵐が丘』のようにセクシーな恋愛小説はあるのですが、女の性欲の表現ということになるとあまりはっきりしません。

 一方でヴィクトリア朝といえばポルノです。最近、公開されたパク・チャヌク監督の韓国映画『お嬢さん』の原作、ヴィクトリア朝を舞台にしたサラ・ウォーターズの『荊の城』(2002)には膨大な秘密のポルノコレクションが出てきますが、あれはあながち史実から外れた表現というわけではありません。

 18世紀のヨーロッパではわりと先鋭的な作家がエロティックな作品を書いていたりしたのですが、ヴィクトリア朝のイギリスではメインストリームの文学から女の主体的な性欲に関する表現がほとんどなくなる一方、そこから分かれたアンダーグラウンドなポルノが内密に読まれるようになります。ヴィクトリア朝の性道徳は、女に貞淑さを求める一方、男の性的純潔は建前だけで、こっそり買春したり、下の階級の女に手を出したりするようなこともしょっちゅうでした。主流文学とポルノの分化はこうしたダブルスタンダードのひとつの反映でしょう。

 世紀末になるとちょっと事情が変わってきます。世紀末芸術のファム・ファタルは旺盛な性欲で男を食い尽くす悪女です。一番個性的なのは、ゲイで唯美主義者だったオスカー・ワイルドのヒロインでしょう。『サロメ』(1891)のヒロインは若い乙女ですが、一目惚れしたヨカナーンに熱い欲望を抱き、その美貌を褒めまくります。面白いのは、ワイルドのお芝居では悪女でなくともカジュアルに男性の美貌を褒めることです。『真面目が肝心』(1895)のグウェンドリンは求婚者アーネストについて「なんて素敵な青い眼をしてるの!」(第1幕437–438行目)と本人の前で容姿を褒めます。近代イギリス小説の慎み深いヒロインに比べると、男性の美貌を評価対象にするワイルドのヒロインたちはかなり現代風で、後にくるモダニズムの文学を予告するものになっています。

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