
「T JAPAN The New York Times Style Magazine」より
女性研究者たちが高価なファッションに身を包み、インタビューに答えるという企画がプチ炎上しています。例えば教育経済学者の「ファッションが大好き(笑)。好きな仕事をして、好きな服を着て生きていっていい、そんな姿が学生のロールモデルになれば」という発言には「学費並の服着て写真撮られる時点で断らなきゃだめでしょ? こんな女がロールモデルになる時代じゃない」といった批判が見られました。
私自身、博士課程に在籍する学生なので、女性研究者の活躍にはいつも励まされていますし、彼女たちの活躍にもエールを送っています。しかし「著名な女性研究者がモデルとなって高価なハイファッションに身を包み写真を撮られる」というこの企画は、若い女性研究者たちにポジティブなメッセージを与えるとは思えません。
「女性は見た目が100%」というメッセージ
彼女たちのような著名な研究者が、女性研究者のファッションに着目した企画で、嬉々としてハイファッションを身に纏い写真にとられている姿は、「女は所詮、見た目が大事」「高級な服に目がくらむ底の浅い女たち」という、女性が数百年にわたり苦しみ続けてきた「見た目に対する圧力」を強化するメッセージを与えかねないものです。
この企画が女子学生にプラスのメッセージを与えるとしたらそれは「あなたたちも見た目がそこそこ良ければ、そのうちこういう企画に登場させてもらえるかもしれないし、せいぜい頑張ってね」という、上から目線の励ましでしょう。そういうマウンティングに対して「ちくしょう、見返してやる」と奮起する女子学生が出てくる可能性もあるという意味では、ポジティブな効果もあるかもしれませんが、普通に考えれば女子学生に対する圧力以外の何物でもありません。
ハイファッションの与える文化貴族的メッセージ
また、数十万もする借り物のジャケットを身にまとって、研究について語る彼女たちからは、昨今の若手研究者の苦しい生活の現状を無視しているような印象を与えます。
男女問わず、若手研究者の多くは学内外のアルバイトや非常勤講師に奔走し、学費や生活費をどうにか工面しています。大学院修了後も不安定な任期付き雇用で、将来の不安を抱えながら、歯を食いしばって研究を続けています。中には学部時代から累積で数百万にもなる借入奨学金を抱えているケースもあります。
この記事に登場する女性研究者たちも、不安定な条件で働く低賃金の若手研究者を雇用したこともあるでしょう。「女性研究者は清貧でなければならない」ということではありませんが、この企画は、そうした部下たちに対して「見て、私のこのジャケット五十万もするのよ。素敵でしょ。あなたたちのような貧乏人や格下研究者とは格が違うのよ」と言っているようにとられてしまっても仕方ありません。
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