性暴力被害に押し付けられる「かわいそうな人」か「聖人」というドレスコード。私は好きな服を着て生きていきたい

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 これは、たとえ誤ったイメージでも多くの人が持っているならそれに合わせるのが正しいという主張であり、その情報が正しいかどうかより、多くの人に受け入れられるかどうかが優先されているので非常に危険です。

 そして性犯罪が起きる原因は加害者の認知が歪んでいるからであって、女性がスカートを履いているから起きるのではありません。たとえどんなに自衛をしても、加害者の認知が歪んでいれば想定外のことが起きます。

 悪いのは「性犯罪」という加害行為です。女性が肌を出さずに自衛をしていないということが加害を誘発する原因として置き換えられ、それによって自己責任論がまかり通るようになるのです。こうして問題の切り分けができていないことこそが、性犯罪に限らずさまざまな生きづらさの原因となっていると私は思います。

 また自衛は権利であって義務ではありません。そして被害に遭って傷ついて露出ができなくなる人がいることは、被害に遭った全ての人が露出ができなくなることではありません。それを露出をしている人が傷ついていない被害に遭ってもいいと思っているとすることは論理の飛躍です。そしてこの発言は、被害者に行動の制限を強要することになり、自由を奪い、結果、回復を阻害することになるのです。

服は#ハッシュタグに似ている

 このようなことから私は、

「私はスカートが好きだけど、性被害に遭うのは嫌」
「着たい服を着て楽しく生きていきたい」

「被害者として縮こまるのではなく、自分で選択して生きていいい。まずは自分がそう発信することで、押し付けられたドレスを前に悩んでいる人をエンパワメントしていきたい」

 そう考えるようになりました。

 服は、SNSなどで使われる“# ハッシュタグと似ています。何を着るかは、自分で選択していいはず。被害者だろうとオタクだろうと、どんな要素を前に出すかは自分で選んでいいはず。気分で選んでいいし、相手や場面や目的によって変えてもいいはず。自分でアレンジしても作ってもいい。そして、どんな服があるのか知らなければそれについての情報を得ることはもちろん、着ることを選択することもできません。

 本来ドレスコードは、その場を心地よく過ごすための心配りであるはずです。そのドレスコードができた前提が変化したり、そこに間違った認識、差別があるのならアップデートする必要があります。あくまで服装その場にいることを選択できる状況にあるときに使われるべきもので、日常的に押し付けられるものではありません。また着たい服を着ていることで別の原因から起きる不利益を肯定されるものでもないはずです。

 こうして私は、性被害やセカンドレイプから始まる息苦しさは、被害自体や性の問題だけではなく「ドレスコードを押し付けられる」という、ごく身近なことからもきていると思うに至りました。私は「被害者のドレスコード」を求められましたが、たとえば、「自分を犠牲にしてでも家族に尽くさないと母親として失格」という「母親のドレスコード」のように、誰しも求められるドレスコードがあるのではないでしょうか。

身近な「ねばならない」に気づく

 社会問題のなかにはさまざまな要素が絡み合っており、それぞれが独立しながらも関連しているものが多くあります。だからこそ、まずは絡んだ糸をほぐすようにして、問題を切り分ける必要があります。そのうえで違う分野と掛け合わせることで、興味を持つきっかけを作ったり、ひとつの分野だけでは解決できないことに、さまざまな観点が生まれるようにしたい。化学反応を起こしたい。

 なにより私は私のままでいることで抑圧から自由になりたい。私にはほかにもいろんなパーソナリティがある。だったら、同じように多様な生き方をしている人がいることを伝えるために、知る機会や対話する機会を作る必要がある。

 そう考えてこれまでさまざまな活動を続けてきました。今後はこのwezzyという場で発信することで、もっと多くの方に届いてほしいと思っています。

 wezzyでは、自分の経験や身近な話題から社会問題につながるようなトピックを取り扱っていきます。生きづらさや社会問題というと少し遠いものに思われるかもしれませんが、なんとなく息苦しく感じてモヤッとする「こうあらねばならない」「こういうものだ」ということがみなさんの周りにもありませんか? そこから少し自由になるためにはどうしたらよいのか、一緒に考えていきましょう。

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