関ジャニ∞の結婚観と女性観がおっさん丸出し。J-POPに見る結婚幻想と“女性の神聖化”

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気の強い女はやっぱイヤ、という話

 曰く、最近の若い(女の)子は、こんなところがダメなのだという。

「プライドがむき出しで、下品で、自分にしか興味がなく、平気で嘘をつき、誰にでもため口を利き、朝から晩まで人の悪口を言い、利己主義を恥じることもなく、清潔感がなく、上から目線でものを言い、彼氏を支配しようとし、ありがとうとごめんなさいを言葉に出すこともなく、見てくればかりを気にし、一生懸命な人を笑い、スマホばかり見て目の前の彼氏を見ようとも会話しようともせず、言葉遣いと礼儀がなっていない」

 そして、ダメな子ばかりが目立つ世の中はなんて切ないんだと嘆く。まるでおっさんの説教だ。じゃあ結婚するならどんな女の子がいいのかというと、

「真面目で、色気があって、人が好くて、俺の友達を大切にし、笑顔、優しくて、男を上手に立て、気遣いも上手で、家庭的で、辛い時はそばにいてくれて、どんな時でもお互いの味方になり、元気で、明るい女性」

 な、なるほど……! まさしく“奇跡の人”だ。だいぶ昭和的な、一歩引いた女性を理想化しているように思えるが(昭和の時代だって実際、「女性はみんな一歩引いていた」かどうかなんてわからない)、このように一方的に都合のよい条件を備えた理想の女性が実在し、しかも自分と結婚できたとすれば、それは紛れもない奇跡であろう。ここに彼らの本音が詰まっているとしたら、相当、結婚に夢とか幻想を抱いていることがわかる。理想の女性の条件を並べ立て、俺もダメなところを直すから、君(まだ巡り合えていない「奇跡の人」)に会いたいよ…と思いを馳せたまま終わる『奇跡の人』は、おっさんが理想の結婚を語る曲といえる。90年代後半、まだ“関西ジャニーズジュニア”だった頃の関ジャニ∞のメンバーたちを知っている身としては何ともやるせない(こんなダサい歌詞を歌うおっさんになったのかっ)。

更新されない結婚幻想

 だがしかし、これって特段、珍しいタイプの楽曲でもない。だから「なんで目くじら立てるの?」「そういう女性が理想的に決まってるじゃん!」とキョトンとしてしまう若い男女もいるだろう。恋愛や結婚を歌う大抵のJ-POPでは、男/夫/父は強くて、女/妻/母は優しくて家庭的で美しくて、男は女を守り、女はそんな男を支える、といった構図の男性観・女性観が“あるある”で、2人が出会ったのは「奇跡」であり「運命」であり、2人の間にある愛や絆や信頼は「永遠」、2人が寄り添えばきっとどんな困難にも立ち向かうことができるし、乗り越えていける。

 たとえば湘南乃風の『純恋歌』(2006年)。男(「俺」)が初めて一途に愛した女(「お前」)に捧げる、といった体の歌詞だが、そもそも「俺」が「お前」に一目ぼれしたのは、「お前」がおいしいパスタを作る家庭的な女だったからで、「俺」が大貧民に負けてマジ切れした時も優しい笑顔を向けてくれる「お前」に、「俺」は癒され、「お前」を守りたいと思った……と、男女の役割や人柄が見事なまでにステレオタイプにのっとっている。

 福山雅治の『家族になろうよ』(2013年)は、近々結婚を考えている相手に「理想の家族像」を語りかけるような歌詞。「お父さんみたいな大きな背中」と「お母さんみたいな静かな優しさ」を持つことでどんなことも乗り越えていける家族になれる、と歌われる。これも、父なる男性はどんな時も堂々とし子供たちに背中を見せることが求められ、母なる女性はいかなる時もキレることなく辛抱強く子供たちを見守るべし、という、世間一般の理想の夫婦像・家族像を色濃く反映したものである。

 また、西野カナの『トリセツ』(2015年)は、タイトル通り、夫となる男性に向けたと思われる「私」の取扱説明事項がずらっずらと並べ立てられるのだが、その内容は、THE・ステレオタイプ化された「女ってこういうもの」にそっくりそのまま当てはまる。急に不機嫌になった時はわけを聞いても答えないけどほっとかれるとそれはそれで怒る(懲りずにとことん付き合ってね)、ちょっとした変化に気づいてほしいけど、気づいてほしくない事柄には気づかないでほしい、サプライズプレゼントや手紙が効果的、等々。

 今挙げた3曲は、結婚式ソングのド定番の曲だ。こうした曲がヒットするのは、その価値観がまだ本当の意味で古臭くなってはいないからであろう。男が女を守り、女は男を癒す。それを若い世代にも人気のある歌手が歌い、聴衆が涙する。奇跡、運命、愛、絆、永遠……結婚幻想は根深いし、男女の“理想像”は現実離れしたままだ。

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