10年代ケータイ小説文化をひもとく
ライター兼、隠れケータイ小説ウォッチャーの小池です。映画「君の名は」が公開されたとき、真っ先に思い出したのは梅谷百さんの書かれたケータイ小説、『キミノ名ヲ。』(KADOKAWA / アスキー・メディアワークス/2013年)でした。
前回は、「ケータイ小説生存説」を提唱させていただいた。一部の大人には廃れたと思われているらしいケータイ小説だが、実は今も毎月何かしらの新刊が出ており、最大手ケータイ小説サイト「魔法のiらんど」にいたっては月間15億PVをたたき出している。たしかに100万部以上売れるような作品は出現しなくなったが、まだ「文化が廃れた」と言えるような状況ではない。むしろ、文化としては定着した状態と表現する方が正しいのではないか、というのが私の意見だ。ケータイ小説は地方郊外で支持されやすい傾向にあるので、都心住みで、一定以上の年齢に達している人間にはそもそも観測しづらい文化だともいえる。
今回は、その「観測しづらい文化」の中でひっそり起きた、トレンドの変化をお伝えしたい。ブーム終焉から早10年。2010年代のケータイ小説の「あるある」は、着実に移行しているのである。
ケータイ小説は、「レイプ、妊娠、不治の病」だけじゃなくなった
ケータイ小説と聞いてみなさんが想像するのは、大ヒットした『恋空』(スターツ出版)のようなストーリーだと思う。つまり、「実話を元にした切ない恋愛」を謳い文句に、女子高生が売春やレイプ、恋人の死などの不幸な目にあいまくる、というような内容である。先述の速水氏も、ケータイ小説の「定型」について、「ホウドウキョク」番組内でこう発言している。
だいたいオラオラ系の彼氏が出てきて、デートDVとかで殴られたりするんだけど、「やっぱりやさしい!」みたいに、互いに依存する典型的なダメな関係になる。でも、いいタイミングで彼氏が交通事故か病死するんです。それで「悲しい」って言って最後は「空」が出てくるんですよ。
(引用:https://www.houdoukyoku.jp/posts/15331)
ブームまっ最中の頃はたしかにそうだった。でも今は違う。2000年代末くらいから、この手の作品は主流とは言えなくなってくる(書く人がいないわけではないが)。今のケータイ小説はもっと多様だ。その証拠のひとつとして、「魔法のiらんど」「野いちご」の小説検索ページをご覧いただこう。
まず、「魔法のiらんど」の「シチュエーション検索」には、「キャラ設定」だけでも56種類のタグが並ぶ。
「極道と若頭が分かれてる意味は」「四天王って一体」などという疑問にいちいち答えていると、あと10万字書かなければいけなくなるので割愛。要は色々あるよ、ということである。
また、「野いちご」の小説検索ページには「注目キーワード」が並んでいるのだが、そのラインナップもこんな感じだ。
この二つを見るだけでも、「『恋空』調のものだけではないっぽい」ということくらいはお分かりいただけるんじゃないかと思う。閲覧ランキングを見ていても、「切ナイ実話」調のものを上位で見かけることは今ほとんどない。
じゃあ一体今は何が人気なの、という質問に答えるのは少々難しい。最近はとにかくいろんな話があるし、トレンドの入れ替わりも激しいので、ひとつを取り上げて「このジャンルが間違いなく一番人気」「これが最先端」とは断言しづらいのだ。ただ、「ああ、これはよくあるやつだ」と迷いなく思うジャンルはいくつかあるのでひとつ紹介しよう。それは、上記のタグ・キーワード一覧に共通で登場している「暴走族」である。正確に言うと「暴走族と姫」ものだ。
「暴走族の総長」が「みんなの憧れの王子様」を張る世界
ケータイ小説界では、昔から「不良ラブ(不良とのラブストーリー)」の人気が高い。その一形態として生まれたのが「暴走族と姫」ものである。これは、簡単に言えば「暴走族の総長とのラブストーリー」だ。
ヒロインは中学生か高校生の美少女で、大抵の場合、家庭にも学校にも居場所がない。そして相手役の男は大抵、「関東ナンバーワン暴走族の総長」だ。「関東」が「全国」になることも多い。とにかくすごく強くて、地元じゃ負け知らずで、総長以下チーム幹部はみんなイケメンで、学校には熱狂的なグルーピーがおり、彼らが登校するたびに校門で「修二(仮名)〜!!!」「彰(仮名)サマ〜っ!!」と黄色い声をあげる……というのが「あるある」の演出である。
んなバカな「おそ松さん」のF6パートじゃないんだから、と思われるかもしれないがこれは本当だ。ケータイ小説界の暴走族は、国道をバイクで走り回る珍走団などではなく、「私たちの町のアイドル(闇属性)」なのである。
この世界観では、「暴走族の総長の恋人」は「姫」と呼ばれる。総長が、チームのメンバーに「今日からこいつをうちの姫にする。明日から交代でこいつの護衛をしろ」と告げたり、猜疑心の強い幹部が総長に「あんな女を姫にしていいのか。スパイかもしれないぜ」とご注進申し上げたりと、作中で具体的に「姫」という言葉が用いられるのだ。
総長にひたすら溺愛され、チームのイケメンたちからかしずかれるのが姫の仕事である。だから、女子の誰もがこのポジションに憧れる。しかし、その分就任することには危険も伴う。敵対チームに「総長の弱点」として付け狙われるからだ。当然、同性のねたみもかいまくる。ジャニオタ諸氏は、「オキニ」がリアル恋人を兼ねており、さらにそれをアイドル側が公言している状態だと思っていただければよい。どんな修羅場が待ち受けるか、想像するだに恐ろしいではないか。
しかし、こうした危険性が、「暴走族と姫」モノの肝なのだ。総長は姫を全力で守り、姫もあらゆるリスクを受け入れて総長の傍にいることを選ぶ。跳ね上がる危険値が愛の純粋性を保証する。二人はこの愛の力で、敵対チームや家族との因縁によって引き起こされる困難をのりこえ、永遠の愛を誓う。「暴走族に姫として選ばれる」は、ケータイ小説界きってのシンデレラストーリーなのだ。
ここまでの説明だけでお分かりの通り、「ありえねー」のバーゲンセールである。しかし、こういった「ありえねー」感じの暴走族小説が2009年頃から激増した結果(※1)、荒唐無稽な設定の数々がケータイ小説ユーザーの間で共有され、いつしか「これがスタンダード」といった様相になった。これは、マンガやアニメの二次創作のコードができあがっていく過程に似ているかもしれない。
リアリズムのいらない世界で、なぞり続けられる社会的規範
「レイプ、妊娠、不治の病」から、「暴走族、姫、溺愛」へ。この10年で、トレンドワードは大きく変わった。もちろん、現在人気なのは「暴走族」だけではないし、暴走族ブームの前には生徒会ブームがあったり、女ヤンキーものが人気になったりもしていた。細かく見ていけばもっといろんなキーワードが浮上するはずだ。ただ全体的に、「実話告白調」よりも、「妄想全開のシンデレラストーリー」の方が支持を受けやすくなっている、ということは言えると思う。アウトローの権力者からメロメロに溺愛されるとか、町中の女子から妬まれるとか、誰も気づいてないけど実は超絶美少女だとか、そういった極端な設定の方が好まれやすくなってきたことを、私はひしひしと感じている。
一方で、変わっていないところもある。暴走族ものの設定のぶっ飛び具合を指して、ケータイ小説は〝あいかわらず〟荒唐無稽だ、と表現することは充分に可能だ。また、それは正しい。「リアリズムは重要でない」というのが、ケータイ小説が変わらず持ち続けている不文律である。おそらく今後も、新たなる荒唐無稽な「あるある」がつくられていくだろう。
たとえば、最近は20代の女性をヒロインにした「大人ラブ」ものが人気を高めているが、それだって設定自体はリアルでも、中身は相当ぶっとんだ筋書きであることが多い。ケータイ小説のユーザーには20代後半〜30代も増えてきたようなので(※2)、そのうち「暴走族と姫」の大人版といえるような、何かしらの強固な枠組みが生まれるかもしれない。
ちなみに、「暴走族と姫」もの自体も進化を続けている。最近は、この発展形とも言えるような話が非常に多いし、人気がある。たとえば「双子の妹(腹黒)が姫をやっていて、ヒロインは彼女にいびられている立場だが、別の暴走族から姫に指名されたことでその力関係が変わる」「本物の姫を危険から守るためのカモフラージュ姫をやっているヒロインが、本当の自分を愛してくれる男にめぐり合う」などだ。このあたり、おとぎ話の形成を眺めているような趣があってなかなか興味深い。
同時に、私などから見ると危機感を抱かざるを得ない部分もある。たとえば、「暴走族と姫」もの(加えて言うなら、最近数の増えている「ヤクザとの恋愛」ものも)に属する多くの物語が、「虐げられ、居場所を失った女の子が、権力を持った男性に所有されることで幸福を得る」というストーリーをなぞり続けていることだ。ここには明確に、社会的規範の再生産・再強化が見える。これが若年女性、特に地方在住者の間で支持を受けやすいのだとすれば、そこには多くの論点が見つけられそうである。
ケータイ小説の向こうには、「地方郊外文化」がある
というわけで、ケータイ小説文化がそれなりに生き延びていること、なかなかユニークなジャンルの醸成さえ行われていることを、前後編に分けて少しばかり紹介させていただいた。
書いてみて改めてわかったが、ケータイ小説について言及するのは非常に難しい。さまざまな評論家や著述家も指摘してきたことだが、ケータイ小説文化を論じることは、「地方郊外の文化」を語ることに通じているからだ。本稿では言及を避けたが、なぜ「暴走族」がウケるのか、という問い一つとっても、「地方」というキーワードは避けて通れない。そこには、都心部との経済格差や、文化資本格差の問題がある。ケータイ小説文化の存在感は今や大きいとは言えないが、この小さな切り口の向こうには、非常に大きなテーマの数々が待ち構えているのだ。私がケータイ小説を読み続けているのは、そこから目をそらしたくないからでもある。
SNSさえあれば、全てのトレンドが把握できるような気にさせられる今日この頃だからこそ、ケータイ小説に限らず、「カルチャー雑誌やSNSのトレンドワードを追っているだけでは見えてこない文化」の存在を、意識的に見る必要があるのではないかと個人的には思う。本稿がみなさんにとって、そうした存在を意識するきっかけのひとつになれば幸いである。
※1 「姫」という概念を持ったジャンルが生まれたのは、2009年に、暴走族の総長の恋人を「姫」と表現する形態の作品が、「魔法のiらんど」で絶大な人気を博し書籍化されたことがきっかけではないかと筆者は推測している。
※2 「魔法のiらんど」は、小説ランキングの項目が「10代に人気」「20代に人気」「30代に人気」に分かれている。
小池みき
ライター・漫画家。1987年生まれ。大学卒業後、テレビ番組制作、金融会社勤務などを経て、2013年より書籍ライター・編集者としての活動を開始。『百合のリアル』(牧村朝子著/星海社)『残念な政治家を選ばない技術』(松田馨著/光文社)などを手がける。コミックエッセイストとしても活動しており、著書に『家族が片づけられない』(イースト・プレス)など。猫とうどんと特撮を愛する。
Twitter:monokirk