プロレスや格闘技をしている人のたくましい身体、私は正直とても怖い。こちらに何も非がなくても、その物理的な力や、それ以前に身体が発する圧力で道理すら捻じ曲げられて無理を飲み込ませられそうに感じるから。だから、プロフェッショナルなら素人に手を出してはいけない、という職業倫理があると聞けば安心するし、柄の悪い連中にからまれてもじっと耐えた、というエピソードをプロレスラーや格闘家が語るのをテレビなどで見ると、そのストイックさに頭が下がる思いがする。
でも、『女子プロレスラー小畑千代 闘う女の戦後史』(岩波書店)の中で小畑(以降人物は敬称略)が素人である観客に圧力を加えたり、盟友の佐倉が場外乱闘を装って気に食わない観客に手を出すシーンを読むと、爽快感を覚える。なぜなら、この時攻撃されているのは、小畑や佐倉といった女性プロレスラーを男の「エロ目線」に奉仕させようとする、ふざけた奴らばかりだから。女子プロレスを色仕掛けの見世物としてしか捉えられない1950年代には、「(俺に見せるように)もっと股を開け」なんて野次が男性客から飛ばされていたのだ。死ぬ思いで鍛錬を重ねリングにあがる選手がこんな野次に激怒するのも当然。すくみあがる男の描写を読めば「ざまあみろ」と思ってしまうのだ。
端的に言って、小畑はかっこいい。そしてそのかっこよさは、闘う女に対する世間の2つの見方を断固として拒否しているからだと私は思う。
第1に、小畑は自らの身体を男の欲望に奉仕するものとしない。プロレスがある種の見世物であるからこそ、男の「エロ目線」に抵抗し、鍛え抜かれた身体から繰り出される技と、試合構成の妙で観客を魅了することにストイックに励むのだ。文中に何度も出てくる「健康」「清潔」「本当のスポーツ」「アスリート」といった言葉からは、小畑が「エロ」でないものとして女子プロレスを作り上げようとした熱意がはっきりと伝わってくる。
ここで大事なのは、「エロ目線」に抵抗するということは、「女らしい」恰好をしないことではない、ということだ。小畑と同じく男の「エロ目線」に抵抗した盟友の佐倉は、あでやかに化粧もするし、指にはいつもきらびやかなダイヤが光る。そして「女を売り物にするような」試合をする選手をリング上で半殺しにする。ここに「けれども」も「しかし」も挟む必要はない。鍛えられた身体に「女らしくなさ」を重ねることもまた間違いなのだ。筋肉質な身体もまた「女らしい」とか、そういうことを言いたいのではない。リングの上に、世間の持つ「女らしさ」の採点基準は必要ない。だから、観客に見せるべきは何よりもまずプロの身体、プロの技である、ということを軽視する人間であれば、観客だろうが対戦相手だろうが容赦しない。そのシンプルにして明快なプロ意識が、ただただかっこいいのである。
第2に、小畑は女性が闘うことが「女性の一面にすぎない」とする見方へも抵抗している。本当にうんざりすることだけれど、メディアが女性アスリートを取り上げる時に、「普段は普通の女子高生」とか「チームメイトとは恋愛の話もします」とか「こう見えて料理が得意」だとか、なんとかして闘っていない女性としての側面を打ち出して視聴者の気を引こうとする手法は、一向になくならない。闘わない女性としての素顔があると思いたい・思わせたい時点で、女性が闘うことを手放しで賞賛していない、と感じてがっかりする。
80歳を超えながら「引退は、していない」と言い、現在でもスポーツジムで筋トレを続ける小畑は、闘いを自分の人生の一部分に切り詰めない。今でも闘う女であり続けることは、実際に試合はせずそう主張し続けるだけだとしても、この社会ではとても難しい。人はいつでも闘っていない女性のイメージを求めてくるからだ。自分の人生をまるごと闘うことに重ねようとする小畑の姿勢が、私にはとてもかっこよく映る。「女の館」を作って、女性たちの駆け込み寺にしたかった、という小畑は、他の女性の人生をまるごと支えようとする人でもある。「女らしさ」という基準が女性の生き方をバラバラに切り刻もうとすることに、小畑の人生は全力で立ち向かっているように、私には思える。
かっこいい女性たちが何人も登場して面白いこの本だが、気になる点も少しある。冒頭1ページ目で「外人」という表現が地の文に登場し、私は正直びくっとした。後に出てくる際には鍵括弧付きなので、小畑が憑依したかのような文体の箇所だから地の文でもこの表現なのだろうが、先制パンチが私にはきつすぎた。また、「女性らしいしなやかさ、美しさ」(p.48)を留保なく前提としているように読める箇所もあり、著者は一線を引いた表現をすべきでは、と思ったのも事実だ。
とはいえ、小畑や佐倉のエピソードをわくわくしながら読み進めるのに支障をきたすほどではない。読んで、闘う女の魅力を感じてください。女子プロレスについてより学術的に知りたい人は合場敬子『女子プロレスラーの身体とジェンダー』(明石書店)、女子プロレスを題材にした小説に触れたい人は桐野夏生『ファイアボール・ブルース(1・2)』(文春文庫)とあわせて読むのもおすすめです。