
両者の明確な違いとは?
エンターテインメント界には「プロデューサー」と呼ばれる人物が数多く存在しているが、その中で誰よりも大きな結果を出しているのが、AKB48グループや坂道シリーズを手がける秋元康だろう。プロデュース作品の売り上げはもちろん、テレビや広告などのマスメディア、芸能界、さらに政財界への影響力なども含め、秋元康のプロデューサーとしての手腕は誰もが認めるところだ。
しかし、そんな秋元康のプロデュース作品が、問題含みであることは既報の通り。お得意の“炎上商法”ではなさそうな、真っ当な批判もあちこちで発生している。
そんな秋元康と、女性アイドルのプロデューサーとして双璧をなすのが、つんく♂である。モーニング娘。や松浦亜弥、Berryz工房、℃-uteなど、歴代ハロー!プロジェクトのアイドルたちのプロデューサーとして数多くの楽曲の作詞作曲を手がけてきたつんく♂だが、秋元のように歌詞の内容が原因で炎上するようなことはほとんどない。秋元康とつんく♂が作る歌詞には、明確な“違い”がある。同じように若い女性アイドルをプロデュースする立場にありながら、両者のスタンスはまるで異なるのだ。秋元康とつんく♂の歌詞を、あらためて比較してみたい。
商品として優れている「“僕”“君”ソング」
AKB48ブレイク以降の秋元康作品では、一人称が“僕”で二人称が“君”の歌詞が多い。たとえば、AKB48の代表曲『フライングゲット』であれば、〈フライングゲット/僕は一足先に/君の気持ち/今すぐ手に入れようか〉、『ポニーテールとシュシュ』であれば、〈ポニーテール(揺らしながら)/振り向いた/君の笑顔/僕の夏が始まる〉などといったように、主人公の“僕”が、“君”に恋をする内容だ。シングル曲だけでも『ヘビーローテーション』『Everyday、カチューシャ』『上からマリコ』『ギンガムチェック』『真夏のSounds good!』『ラブラドール・レトリバー』『ハート・エレキ』『希望的リフレイン』『LOVE TRIP』『心のプラカード』『唇にBe My Baby』『君はメロディー』などがこのパターンであり、AKBの代表的なスタイルと言えるだろう。
歌詞の中には学生生活を想起させる内容も多く、“僕”が中高生男子で、“君”はその同級生の女子という設定。女性アイドルのターゲット層を10代から20代の若い男性と仮定するならば、この“僕”をファンに、“君”をアイドルに置き換えることが可能で、ファンにしてみれば「好きなアイドルが自分の気持ちを歌ってくれている!」と、より強い共感を持つことが出来るだろう。
しかし、実際のアイドルファンの年齢層は10代20代よりも30代以上が多いということもあり、多くのファンが抱いているのは「共感」というよりも「ノスタルジー」や「経験できなかった恋愛への憧れ」といった感情に近いと考えられる。さらにいえば、それは秋元康の心のなかにある、「学生時代にそんな恋愛をしたかった」という気持ちなのかもしれない。
どんな感情であれ、楽曲の主人公が「ファン」であることは間違いなく、だからこそファンとアイドルとで曲の世界をともに作り上げているかのような稀有な体験を味わえる。これがAKBをはじめとする48グループの世界観であり、ファンにとっての魅力のひとつだ。
このような「“僕”“君”ソング」は、いうなれば“おっさんの憧憬”である。アイドルたちが“おっさんの憧憬”を歌い、ファンの気持ちを代弁してくれるという事実は、「アイドルを応援する」というファンの行為を強く肯定することとなる。そして、結果としてアイドルへの思い入れもより深まっていく。歌詞の内容がファンの共感を生むことはもちろんだが、それ以上にファンの気持ちを揺さぶる仕組みを持ち合わせているという意味で、秋元康の「“僕”“君”ソング」は商品として優れているのだ。