独身時代同様に夏を楽しむ“母親”は失格? 世間の監視に屈しない

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じゃあこれが父親だったならどうだろう?

親子3人で、父親のみがビール片手に歩いていたらただの微笑ましい家族絵図。別に誰も「父親のくせにビールなんか飲んで……!」にはならないんじゃないか? 実際にプールでも近所のお祭りでも、家族連れの「父親」と思われる男性のみが飲酒してる光景はその辺でゴロゴロ見られる。

父親は仕事の帰りに飲みに行っても大して注目を浴びないのに対し、母親が子供を父親に任せて飲みに行ったら物珍しい目で見られ、ひいては非難まで浴びることになる。だったら年に数回しかないイベントの時ぐらい思いきり飲ませろ!! と言いたい。

そう考えると、プールで私服のままテントで見守る母親たちは、そういった「母親像」に縛られた挙句の行動(最終的な地点)をとっていたのだろうか?

目立たない→母親像からは外れていかない、というレールに完全に乗り、その世界観に馴染みきってしまっているのだろうか?

この質問者のようにこんな細かいところまでいちいち気にしながら母親業をやっていれば、行き着く先は「自分は目立たず遊ばず、ただ子供を見守る」になっていってもおかしくはない。

 

飲酒にしてもプールにしても、母になろうが祖母になろうが誰にだって楽しむ権利はある。もちろん、授乳中だったり、次の子供を妊娠していたりすればあちこちで制約ができてしまうのは当然だが、“世間の目”によって制約されるのはおかしい。

日常の些細なことでいちいち「母親のくせに」というルールに縛り付けられていたら、誰だって疲れる。

こんなにがんじがらめにされるのなら母親になんてならなければよかった……なんてよぎる日がやってこないためにも、もっと世の母親たちには自由に楽しんでほしい。

もちろん子供を連れていれば子供の安全に最大限配慮するのは不可欠だが、それは「親」としての責任。決して「母親だから」ではない。

 

前出の質問者はきっと、生活のあらゆるところで、世間から向けられる「母親像」に苦しめられているのだろう。

母親になることは今までの自由や人権を奪われることではない。自分の生きる糧が一つ増える、とっても喜ばしいことであってほしい。

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