
『スパイダーマン1』
現在公開中の『スパイダーマン・ホームカミング』。私自身は、このジャンルに明るいというわけではありませんが、スパイダーマンの出てくる映画を順番に見ていったところ、それぞれにテーマがあると気づいたので、書き留めておきたいと思います。
スパイダーマン関連の作品を見たことがない人のために説明をすると、基本的にスパイダーマンは、ピーター・パーカーという普通の男の子が、ある日クモに噛まれたことによって手に入れた特殊な力を駆使して、同じくなんらかの理由で特殊な能力を持ってしまった悪役(ヴィラン)と戦う、というストーリーになっています。ひとまずこの設定を抑えていただければ、この文章は読み進められると思います。
スパイダーマンにはサム・ライミが監督した『スパイダーマン』『スパイダーマン2』『スパイダーマン3』という3作と、『(500日)のサマー』のマーク・ウェブ監督が担当した『アメイジング・スパイダーズ』『アメイジング・スパイダーマン2』があります。その後『キャプテン・アメリカ シヴィル・ウォー』でスパイダーマンが少しだけ登場して、今回のジョン・ワッツ監督による『ホームカミング』に至るという流れになっています。同じコミックを原作にしているというだけで、その世界観はバラバラです。でも、バラバラだからこそ、映画にはいろんなテーマの描き方があることが見えてきました。
サム・ライミ版は性悪説でできている
サム・ライミ版は、性悪説でできていると思っていいでしょう。人にはどこかしら悪いところがあって当然。だからこそ、自分の中の悪い部分をちゃんとコントロールしないと、とんでもないことになってしまうという視点です。
特に、冴えない少年で同級生からもからかわれていたピーターはある日突然、人知を超えた力を持ってしまいます。その力を持ってすれば、今までは自分をいじめてきた学校のワルのことも、ひとひねりで倒してしまえるようになってしまったわけです。
しかし叔父さん(ベンおじさん)は「その生徒は、殴られて当然かもしれないが、お前のほうが強いからと言って殴る権利があるわけじゃない。忘れるな。大いなる力には大いなる責任がある」とピーターを諭します。このセリフは、サム・ライミ版の『スパイダーマン』に通底したテーマになっています。
『スパイダーマン』のヴィランであるグリーン・ゴブリンの正体は、ピーターの親友・ハリーの父親で、巨大軍需企業「オズコープ」の社長でもあるノーマン・オズボーンです。彼は、仕事人間で息子のことを顧みない父親でしたけれど、その心の中では大事には思っています(ちょっと牛乳石鹸に出てくる父親を思い起こさせます)。ノーマンは、ハリーの恋人であるMJのことを、「あんな美人がお前の人間性を評価して付き合っていると思うか。お前の母親もきれいだったが、ああいうタイプはいつか財産目当ての本性が現れるもんだ。やりたいことだけやってさっさと捨てることだ」と評します。なんたるミソジニー発言! 会社で研究開発をしていた血清によって悪意や攻撃性が増幅されている状態での発言ではありますが、ノーマンは基本的に、そうやって他人を疑って生きている部分のある人であるということでしょう。
ノーマンは、完全な悪人というわけではありません。血清を浴びグリーン・ゴブリンとなってしまってからも、自分の悪意に葛藤するシーンもありました。ノーマンを見ていると、大いなる力を持った人間は、その使い方次第でヴィランにも、ヒーローにもなれてしまうということがわかります。サム・ライミ版では、ピーターにとって絶大な力が、いつまでも「呪い」として彼を縛ることになります。
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