
『アメイジングスパイダーマン1&2』
『アメイジング・スパイダーマン』は、「性悪説」で作られていたサム・ライミ版と反対の、ずばり「性善説」で作られていると言っていいのではないでしょうか。
これはなにも、『アメスパ』に出ている人は、根っからのいい人なんだよ、ということではありません。サム・ライミ版のような「自分の根っこには悪が宿っているかもしれないから、自分の悪の芽に常に注意しろ」という視点ではなく、人はもともとは善だけれど、外的な環境によっては悪になるということが見えるという意味です。
だから、ヴィラン(悪役)の描かれ方も、かなり違ったものになっています。
『アメスパ』のピーターは、リア充とよく言われています。確かに、サム・ライミ版よりも恋愛の比重は大きいし、スクールカースト的にも、ピーターはいじめられっ子ではなく、いじめられっ子のためにいじめっ子と戦うような男の子です。
ある意味、サム・ライミ版のピーターに共感できる人からすると、『アメスパ』のピーターには、いつも自分はこれでいいのかと内省しすぎる感じが少なく、自己肯定的なために、あまり理解できないという人も多いのかもしれません。恋人のグウェンとの関係性で悩むときも、自分から「彼女を傷つけてはいけない」と考えるサム・ライミ版のピーターとは違い、グウェンの父親との約束によって、彼女との関係性をあきらめようとするし、それは自分の「気持ち」に従って覆されます。ただ、これは見る側の考え方の問題であり、『アメスパ』のほうが好き/サム・ライミ版のほうが好きという人もいて当然です。
『アメスパ』は性善説だからこそ、いいところもたくさんあります。グウェンとの距離が近づくときの音楽も甘酸っぱくて、青春のきらめきが感じられます。また、細かいリアリティもあります。ピーターの首もとから蜘蛛の糸が出てきてそれをひっぱるシーンには独特の皮膚感がありますし、力が強くなりすぎて、歯磨き粉がチューブから飛び出してしまうのもリアリティがありました。クモにかまれたあと、ネットを検索して、さまざまな写真を調べるところもリアルです。
突然手に入れた特殊な能力を使いこなせるようになるまでに、かなりの時間がかかりますし、その過程も「実際にスパイダーマンがいたらそういうことなんだろうな」と十分理解できます。そこは、サム・ライミ版とはまた違った魅力です。また、スーツの造詣なども、皮膚感がちゃんと宿っている。スパイダーマン目線のアクションンもスタイリッシュです。そういう意味では、また別の楽しみ方ができるものでした。
ただ、『アメスパ』のヴィランに関しては、サム・ライミ版がしっくりくる人たちにとっては、やはり馴染めないところはあるでしょう。『アメスパ1』では、ピーターの父と同じ研究者仲間であったコナーズ博士が、爬虫類から作った薬を自分で実験に使ったため、リザードというトカゲ男のヴィランに変身してしまいます。コナーズ博士自身には、悪の芽があるようには見受けられず、ヴィランになってもなお、自分の作った薬が人類のためになると信じ続けているような人です。基本は善なのですが、事故によって強大な力を持ってしまい、それでもなお、自分の開発した薬が人類のためになると信じてしまったがゆえに、悪になってしまうのです。強すぎる正義感が返って人の正義を揺るがすということは確かにありますが、それがテーマというほどは描かれていませんでした。
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