さらに8月18日に出された再質問に対しては、回答期日として提示された9月10日から4日遅れた9月14日に、同性愛者を揶揄するつもりも、差別を助長する意図もなかったが、「怖くて行けない所」というコーナータイトルや出演者の軽率な発言については、配慮が欠けており、結果的に一部の同性愛者に不安感を与えたことをお詫びすること。指摘を受け、一部同性愛者の方々を傷つけたことを改めて認識した。この指摘を生かし、より幅広い配慮を重ね、番組づくりに生かして行きたいと考えている、と回答。
その後、10月に日本テレビの回答は事実上の謝罪表明と受け止めるが、質問書に示した項目別の質問に対して回答がないとして再度返信を求めたところ、先の回答書は、項目別の回答を超え、全体として「結果的に一部の同性愛者に対し不安感を与え」たことを認識した。「配慮が欠けていた」のはコーナー全体に及ぶとして、具体的な回答は行っていない。さらに、「揶揄も差別の意図もなかった、だから指摘に真摯に向き合い、謝意を伝えた」と返答し、これが最終的な回答であるとしている。同年12月に同団体は、回答は不十分であり、差別を助長する意図はなかったと理解を求められても到底、首肯できないとして、一連の交渉を資料としてまとめることを通告している。
日本テレビの回答は、いまの私たちに非常に馴染み深いものではないだろうか。「差別の意図はなかった」という、あたかも差別が意図的であるかどうかが問題であるかのような認識も(そもそもこの番組は明らかに揶揄し、笑いものにしようとしている)、「一部の」とつけて特定の団体のみを対象とすることも、そして「不安感を与えたこと」と受け止め側の問題とする態度は「不快な思い」という言葉に変わり、いまだ残っている。
日本テレビが事実上の謝罪を行ったのは1995年9月の文書でのことだ。『進め!電波少年』は、やはり『解禁テレビ』と同じ日本テレビ系。そして出川哲朗のシドニーロケは、1995年12月31日に放送されている。番組プロデューサーが異なっているとは言え、いったいどのように指摘は生かされたのだろうか。
1995年から20年以上たったいま、当時の企画を面白おかしいエピソードとして振り返ることが出来ると考えた日本テレビは、今回の放送に抗議が殺到した場合なんと回答するのだろう。やはり「差別の意図はなかった」と言うのだろうか。また、本当に出川哲朗がオーストラリアで性被害にあっていたとしたら、それを「最高だよ」と笑う芸人仲間たちにも疑問を持つ。もちろん『電波少年』の企画にも、『ウチのガヤがすみません!』の企画にも、だ。
何よりも考えなければいけないのは、もし出川哲郎のエピソードがいまだ笑い話として受け止められる社会なのだとしたら、LGBTという語が広まり、認知度が高くなった現在においても、わたしたちはなにも変わっていない、わかっていないまま、ということなのではないだろうか。それは本当に「いま考えるとありえない」と言ってしまえるのか、ということでもある。20年前の、過去の話として振り返ることのできるものではないのだ。