
本として、読まれる。Photo by Monica H. from Flickr
私が性被害に遭った後に苦しんだことで大きかったのは、“普通”の枠から外れて、“被害者のドレスコード”を求められることでした。これまで経験してきた生きづらさは性暴力に限ったことではないと気づいたのは、「ヒューマンライブラリー」の活動に関わったことがきっかけでした。
2015年の10月、私は紹介を受けてこの活動に“本”として参加することになりました。このころ私は自分のリハビリのために性被害に関する活動を完全に休んでいて、回復するにつれ、また少しずつ動く機会を増やしていこうと思っていました。
「ヒューマンライブラリーって何?」と思った方が多いと思います。私も最初聞いたときはよくわかっておらず、講演のようなものだと捉えて受けていました。
ヒューマンライブラリーは対話を通して相互理解を深める活動で、2000年にデンマークで始まりました。多様な生き方をしている人を「本」に見立てて、「読者」である来場者に対して「生きている“本”を貸し出す図書館」です。約30分間、読み聞かせをするように少人数で対話することで、相互理解を図ります。
誰でも、本になれる
日本でも2008年からさまざまな大学や任意団体、公共機関などが主催しており、私はいままでブックオブ・りーふぐりーん、麗澤大学山下ゼミ、明治大学横田ゼミ、駒沢大学坪井ゼミ、明星大学ボランティアセンターに呼んでいただきました。今年5月に日本ヒューマンライブラリー学会(Human Library Society of Japan)も設立され、まずます活性化していくでしょう。メディアで取り上げられる機会も増えています。
団体、司書役(コーディネーター)によって特色があります。たとえば明治大学は300人以上の来場があり、30人以上の本が参加する最大規模のヒューマンライブラリーで、本と読者が1対1で対話します。コマ数も多く、講演会や、暗闇カフェ、義足体験、写真展といったアトラクションも用意されています。
ブックオブ・りーふぐりーさんは、とてもアットホームでゆるい空気です。千葉県・松戸で参加したときは、ボランティア活動を紹介するため各団体の人が本になり、読者にタイトルを決めてもらうというオリエンテーションへの応用が試みられていました。さまざまな目的に応用していくことができる活動だと思います。
セクシャルマイノリティ、障害、病気に関する本が多くいるため、いわゆる“マイノリティ理解のためのイベント”とされやすいですが、そのスタンスも主催者やテーマによって異なります。私は誰の人生もほかの人には体験できない特別なものだと思っていて、マイノリティにかぎらず誰でも本になることができ、さまざまな人の人生に触れることができるイベントだと捉えています。ロリータ・ファッション愛好家の人や、ラーメン屋さんや会社員が本になっていることもありました。
経験を語ると「あってよかった」ことになる
私はヒューマンライブラリーに参加する以前から性被害に関する経験を発信していましたが、「本当に届いているのだろうか?」「私のやっていることは意味があるのだろうか?」「どう捉えられているのだろうか」と不安に思うことがありました。
メディアで発信すると、見た人から連絡が来ることはありますが、リアクションが直接私に届くことは割合として少ないのです。
ヒューマンライブラリーはそれとは違い、生の声をより近くで聞けるので話すたびに学びがありました。読者が知りたいと思っていることを話せて、どの回もまったく同じではないので、毎回新鮮な気持ちでした。
私を読みにきて「実は自分や周囲が被害に遭った」とお話してくれる方がいます。また自分とは関係ないことと思って聞きにきた方が対話しているうちに、「実は自分にもいろいろあったけど、この程度は我慢しないといけないと思っていた」とおっしゃることも多かったです。性被害をメインに据えたイベントに行くのには勇気が出ない、または普段は特別性暴力を意識していないような人が、ヒューマンライブラリーというイベントを通して私と話すことで、改めて考える機会になっているようです。
そこから、「また別の機会を設け、性にかぎらず多様性について話してほしい」と声をかけてもらったこともあり、うれしく思っています。