
30歳の誕生日に考えること。Photo by Kiran Foster from Flickr
高校生のころ、30歳という年齢はどういう意味を持っていただろうか……。そう思い返すと私は周りの友だちより波乱万丈に生きてきた(と思っていた)から誰かに殺されるか、自分で死んでいるかで23歳くらいにはもう私は存在していないだろうと思っていて、30歳という年齢になる自分も、結婚して母親になる自分も想像すらできませんでした。
ただ、自分のなかでは30歳をとても落ち着いた年齢だと感じていました。女性を前に出す雰囲気は消え、しっかりとしたキャリアを築いてバリバリ仕事をしている、もしくは結婚して、子どもがお腹にいたりお母さんになったりしている、そういうイメージでした。
私は8月に誕生日を迎え、30歳になりました。あのころ思い描いていた30歳になったのでしょうか? 今回は20代後半からの私の、「30歳とアラサー」に対する考えの変遷をお話します。
プレッシャーまみれのアラサー
定義に幅がありますが27~33歳など、30歳前後の年齢を指すアラサーという言葉が使われるようになって10年ほど経ちますが、自分がアラサーに入ったころは、さまざまなプレッシャーが重なり、いま以上に焦りを感じていました。
まずひとつは自己実現ができていないことでした。
20~26歳くらいの青春時代、私は性被害の影響で寝込んだりひとりで苦しんだりする時間を長く過ごしました。22歳から少しずつ、被害の経験を発信したり被害に遭った方の話を聞いたりといった性暴力に関わる活動をはじめ、24歳ころから心身が回復して動けるようになり、楽しく充実した時期を送りました。大学在学中から個人事業で仕事を受けていて、継続的な案件ももらえることになり、それでなんとか暮らせるかもしれないという状態でした。
しかしその後、PTSDが再発し心身を崩して、受けていた仕事をすべてなくしました。25歳のとき、なんとか7年生で卒業し、それと同時にずっとつき合っていた彼氏と結婚し、療養しながら主婦をしていました。
それからバイトをしたり、仕事を受けてはなくすことをくり返しました。意識高い系だったのに早くに結婚して、いまは主婦……以前の私を知る人の一部から、私のことをそんなふうに斜めに見る目線があることは感じていました。
周囲に同世代がいなかった
学生を長くやったことで周りは歳下ばかりで、その後つながったオタクコミュニティでも私は年上組。性暴力に関する活動では大学生と接する機会が多くありました。逆に歳上となると一回り近く離れた人が多いので、日ごろ近い年齢の人と接する機会が少なかったのです。個人事業であれば日常的に会社で同年代の人と接する機会もないので、この年ごろの人はどうしているかをなかなか実感できませんでした。
同世代と違って「自立したまっとうな社会人になれていない」「常識がなく子どもっぽいのではないのだろうか?」、そして何より「体調や条件で制限がかかりすぎて自分が何をしたいのかすらわからなくなってしまっている……」という不安を抱えていました。