【第3回】妄想食堂「アンパンマンと谷崎潤一郎が私の性癖を狂わせた」

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 食事はエロい。食べ物はエロい。そう感じるようになったのはいつからだろう。思えば、私の性の目覚めは保育園時代に見たアンパンマンのアニメだった。宿敵・ばいきんまんがアンパンマンたちに向けて発射するとりもち弾。べたべたのねばつく餅にまみれ、ひとかたまりになってもつれあうアンパンマンとカレーパンマン……。私の性癖はこのころからおかしくなりはじめた。

 その後も吉田戦車の漫画に出てくる「キムチや納豆の樽に漬け込まれる女の子」の画に謎のときめきを感じたりと、スタート地点から若干の迷走状態にあった私の性癖を完全に「食」に傾けたのは、大学に入って読んだ谷崎潤一郎の「美食倶楽部」という短篇小説だった。

 この小説は文字通り「美食」を扱った小説のはずなのに、とにかく汚くて気持ち悪い。涎やげっぷのことばかり書いてあるし、食べ物の比喩にも痰とか膿とかそういうものばかり使われている。「美食」というより、口の中でぐじゅぐじゅに咀嚼した食べ物やどろどろの嘔吐物みたいな感じだ。アマゾンレビューに「タイトル詐欺」とか書かれてもしょうがないよと思ってしまう(書かれてないけど)。だけどそういう汚らしさと、何よりぬめりを帯びた文体がたまらなく淫靡に感じられた。

 ぬるぬる、どろどろ、べちゃべちゃしたものが好き。後から知ったことだったけど、そういうフェティシズムにはちゃんと名前がついていた。ウェット・アンド・メッシー、略してWAM。濡れて汚すこと。クリームや蜂蜜やケチャップや絵の具や泥、とにかくどろどろぬるぬるしたものにまみれる行為に対する性的嗜好を指す。

 ちなみに、件の谷崎が書いた「柳湯の事件」という小説には、蒟蒻やところてん、水飴、とろろ、チューブ入りの練り歯磨き、蛇、水銀、なめくじ――のようなものを愛する、「生来ぬらぬらした物質に触られることが大好き」な性癖をもつ青年が登場するのだけど、まさにWAMとはそういうことである。WAMが欧米でひとつのジャンルとして確立されたのが80年代、「柳湯の事件」が書かれたのは1918年のことだ。谷崎、ちょっと時代に先駆けすぎじゃないのか。

 一度だけWAMの会合に行ってみたことがある。そこではモデルの女の子が全身クリームまみれの真っ白い塊になったり、その上からチョコレートシロップをかぶったり、お客さんとパイを投げ合ったりしていた。性的な接触は一切ない。子どもが泥遊びをするような雰囲気で、みんなとても楽しそうだった。無邪気と言ってもいいくらいだ。だけど子ども時代に人が感じるエロさって、こういう無邪気さの中に発芽するものだったよなと思う。赤ちゃんがどうやってできるのかも、股の間をいじると気持ちがよくなるということも知らなかったころのエロさ。曖昧で形のない、性欲と名づけることもためらってしまうようなエロさ。

 ぬるぬるはいつも曖昧だ。気持ちいいのか気持ち悪いのかすらもよくわからない。なんだかよくわからないけど、なんとなくエロい。食事にもセックスにも、ぬるぬるは付き物だ。唾液と混じって、得体の知れない流動体になる食べ物たち。唾液の出ない食事がありえないのと同じように、体液のぬめりを帯びない性交も成立しない。乾いた性器なんて、別にエロくもなんともないのだ。消化や生殖の機能については置いておくとして、口も性器も、その部位が特別なのは「ぬるぬるしているから」というのが大きいと思う。エロいのは性器ではなくぬるぬる。だったら別に、その限られた部位にこだわり続ける必要もないはずだ。

 胸に、腕に、腹に、背中に、脚に、クリームを塗りたくる。体が乳臭いぬめりを帯びてしまえば、そのすべてが性器のように猥褻になる。そのすべてが口のように食べ物を味わうことができる。もちろん生殖に繋がることはないし、お腹が膨れることもないかもしれない。でも生殖のため。栄養のため、そういう「正しさ」がなければ、気持ちよくなってはいけないのだろうか? 人は栄養を摂取するためだけに食事をするのではないし、子孫を殖やすためだけに他人と触れ合うのでもない。

 「正しいセックスとは、男性器を女性器に挿入して行われるもの」。つまらない形式に苦しめられている人は数え切れないくらいいるし、私だってそのひとりだ。そんなときも手をぬるりと滑らせれば、快さを味わうことができる場所は広がっていく。これって本当に「エロい」の? 断言はできない。子どもの遊びみたいに楽しくなるだけかもしれないし、気持ちが悪くなるだけかもしれない。だけど、ぬかるみの中を手探りで進んでいくような、そんなエロさがあってもいいんじゃないかと思っている。
(餅井アンナ)

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