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有名人が自身のブログに投稿したプライベートの記事がそのままニュースサイトに掲載され、特定のファンのみならず一般に向けて発信される機会が多くなった。
本人たちはただの日記感覚で投稿しているような内容でも、それを敢えてピックアップすることで「共感」「非難」の二通りしかない判断を一般人にさせてしまいがちだ。
ことに、「妊娠」「出産」「育児」がテーマの記事ともなると、コメント欄は大荒れ。
私はこの、コメントしている人たちの感情むき出しの言葉が面白くて、ついこの手のニュースを(特にコメント欄を)覗いてしまう。
育児をテーマにした記事でコメント欄が荒れる代表格は、やはりタレントの辻希美(30)と木下優樹菜(29)だろう。
娘のために作った食事写真をアップすれば『いつも外食ばかりのくせに』『そんなの誰だって作れる』とか、家族で外出した時の写真をアップすれば『こんな遅い時間まで連れまわして可哀想』『子供の顔を載せるなんて考えられない』とか、とにかく批判、批判、批判……
ただの日常の一コマが、なぜこんなに批判されなきゃならないのだろう。
もちろん、批判する人はこの手の記事が放っとけなくてつい見に来てしまう人たちなのだろうから、記事をアップする有名人たちも閲覧数を稼ぐために敢えて批判されがちな内容を掲載する、ということも考えられなくはないが。いわゆる炎上商法だ。
それにしたって、見ず知らずの、それも特別好きでもない有名人の記事を見にやってきて、誰が得するわけでもない非難コメントを残していく……
育児などが関連する記事だとそんなエネルギーが有り余った閲覧者が多いようだ。そこまで彼女(彼)らを奮い立たせるものは一体なんなのだろう。
とにかく「自分」を引き合いに出すコメント群
先日、タレントのアレク(34)と川崎希(30)夫婦に第一子が誕生した。
二人は川崎が妊娠する前からなにかとお騒がせ夫婦であり、一般的に容認されないであろう破天荒な内容のブログ記事をネットサイトがやたらピックアップしたりするから、当然非難の目が向けられやすい。
極めつきは川崎が妊娠中のアレクの不倫騒動、そしてそんなアレクに「おしおき」として取った川崎の行動など……この時の某ニュースサイトの記事コメント欄はほぼ「非難」で埋め尽くされていた。
さすがに私もこの時の記事には引いてしまったが、アレクはろくに収入もないヒモ夫・川崎はAKBの落ちこぼれ、などなど余計なお世話的なコメントがズラリと並ぶ。
そんな二人が父と母になろうというのだから、妊娠中~出産~育児にかけての期間はさぞかしコメントも盛り上がるに違いないと思ったが、やはりそうだった。
まず妊娠期間中の川崎だが、ブログには外食時の料理やケーキの写真をアップ。それを見た一般人からは『妊娠中なのに考えれない』『管理ができないなんて母親失格』的なコメントが溢れた。
確かに妊娠中はむくみやすく、塩分を控えた食事を心がけた方が良いに越したことはないし、体重が増えすぎれば難産に繋がる可能性があることから、ただでさえ太りやすい妊娠中は高カロリー高脂質なものは控えた方が良い。
ただし、そんなのは当人が日々の生活の中でコントロールすることであって、数日に1回カロリーが高めな食事を紹介したからと言って「母親失格」とまで言われる筋合いはない。
理想的な妊婦の行動と言えばきっと「食事管理・適度な運動・早寝早起き・身体を冷やさない」を常に徹底していることなんだろうが、妊娠期間中そこまでストイックな状態を保てる母親なんてどれだけいるのだろうか(ちなみに私はこの4つのうち1つも実行していない)。
ちょっとお手本から離れた行動を掲載しただけで母親になることまで否定されてしまうのだから、出産時の記事はやはり大炎上だ。
川崎が入院した日のブログには、私服&メイクばっちりで病院のベッドに横になる川崎の写真が掲載されていた。これには『これから出産するってのに何で化粧バッチリなの?!』『入院したなら普通入院着になるでしょ。私服でベッドに横になるとか常識なさすぎ』と非難轟轟。
確かにこれからお産に挑もうという姿には見えなかったが、それは出産=汗だく・髪の毛ボサボサで命がけで臨むものというイメージがあるからで、人に見られることが仕事である有名人の川崎がいかなる時も見た目を気にかけたところで別に誰に咎められることでもない。それに、「看護師にクレンジングを促されたけれど言うことを聞かなかった」だなんてどこにも書いてない。
翌日無事出産を終えて、出産報告を掲載すると今度は『陣痛中もブログアップしてたし無痛分娩? 3日間苦しんで出産した私とは正反対の余裕がある出産でしたね』なんて、絶対に姑にしたくないタイプのコメントまで出る。
無痛分娩だとしたら何が悪いのか? 3日間苦しんだからって何が偉いのか? 川崎が超難産で、3日も4日も苦しみ続けた挙句自然分娩すれば良かったのか?
この人たちがマトモな大人であるなら、我を忘れてしまってるんじゃないかと思うほど冷静さに欠けるコメントが相次ぐ。
他人の「妊娠」「出産」「育児」はどうしても放っておけない?
たまたまタイムリーなところでアレク・川崎夫妻のことを取り上げたが、赤の他人がマタニティライフを送ったり、育児に奮闘しているその内容にいちいち首を突っ込んで非難したがる人がこんなにも大勢いるということを、インターネット文化は顕在化した。
恋愛・受験・就職など明らかに「赤の他人」と競争すべく状況にある場面だって、こんなに他者をけなしたり否定したりはしないだろう。
それこそ妊娠や育児なんて、他人がどう臨んでいようが自分にはまったく影響のないことなのだが、ネット記事のコメントを見ていると目の色を変えて非難を書き込んでいるのが容易に想像できる。とにかく「必死」だ。
他人のちょっとした「緩み」のようなものを見つけるとすぐに「そんな母親は……」と一括りに非難を向ける。自分たちだってその緩みと付き合いながら何やかんやと乗り越えてきたんじゃないだろうか?
1%もお手本から反れることなく、全力疾走で子育てを終えたロボットみたいな母親なんてこの世にただ1人として存在するとは思えない。
なのになぜ、定型文のように「私なんてこうだった!」といちいち引き合いに出すのだろうか。
例えば手作りの食事を用意するのが大変だからベビーフードを活用するとか、たまには息抜きに子どもを預けて飲みに行くとか、深夜の授乳がしんどいからミルクに切り替えたとか、こういった類のことを母親がブログ等に書くと瞬く間に「母親のくせに」といった類のコメントが並ぶだろう(中には賛成派もいるけど)。
つまり母親である他人が「ラクした事実」があることが許せないのだ。
では自身はラクをしたこともしくは、ラクしたいと思ったことは一度もないというのだろうか。
あたかも自分は「全力」で努力をし、それは子のため(母性があるから)だと主張する。そこに後ろめたさはないのか? 実際のところ「辛い」「面倒くさい」と思ったことぐらいあるだろう。
私も出産してからこの1年、子持ちの友人と会う機会が何度かあったが、友人は私の出産を喜んだり子どもを可愛がったりはしてくれるものの、会話している中でちょいちょいマウント言動があり、とても厄介だった。
そもそも“先輩ママ”のほうが経験も知識もあるのは当然で、彼女たちもその経験や知識は最初から手にしていたものではなく自身の出産・子育て生活を送る中で得たものなのに、“後輩ママ”が「3カ月ぐらいになったら遠出大丈夫だよね~」とか気軽に口にしようもんなら「3カ月なんてまだダメダメ!!」と目の色を変えて“注意”してくる。
無責任なネットのコメントのように「母親失格」とまでは言われないものの、その表情や言葉の温度からは何だか必死さがにじみ出ていて本当に苦手だ。
あのピリピリした瞬間が苦手でなるべく子持ちの友人(一部を除き)とはかかわり合いたくないというのが正直なところだ。
自分には甘く他人には厳しい、これが「妊娠」「出産」「育児」の鉄則なようだ。
ただでさえこれらは「世間の常識」と「実体験上の課題」の差が激しいのだから、それぞれのやり方を尊重しつつ母親同士、前向きな意見交換をしていきたいものだ。
そのためにまず「他人は他人」という当たり前すぎる感覚を持ち合わせることが最優先課題だろう。