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「ちょっとしたズボラ」を肯定するロバート秋山出演動画が評価されることに、日本の惨状が現れている

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 いわゆる「女性らしさ」から逸脱した行為や、家事育児に「手を抜く」ことが肯定されているこの動画は、多くの視聴者に肯定的に受け取られているようだ。だが、この動画をいちいち肯定的に評価しなければいけないこと自体が、現実の、あるいは他の広告動画の悲惨さを浮き彫りにしているように思えてならなかった。

 言うまでもなく、靴下を足で脱ごうが、手をシャツで拭こうが、もやしのヒゲをとらずに炒めようが、誰かに何かを言われる謂れなどない。このくらい当たり前のことであって、「手抜き」ですらないだろう。それでもいちいち「マイクロズボラ」などと名付け、わざわざ肯定しなければいけないということ自体、日本社会にある「女性らしさ」「完璧な家事育児」を求める風潮を表しているように感じられる。

 そして、この動画が賞賛される背景には、「女らしさ」や「完璧な家事育児」といった保守的な規範意識を強化しかねないことに無頓着だと感じられる問題のある広告が多数公開されている問題があるように思われる。

 例えば今年5月にはちふれ化粧品がツイッターにて「仕事、家事、育児……。いつの間にか『女磨き』をおろそかにしていませんか? 時短美容を活用すれば、忙しい日常と女磨きはちゃんと両立できるんです」と投稿して批判を受けた事例がある(その後、批判を受けお詫びとご報告という文書が公式サイトに掲載された)。同月には、ユニ・チャームがワンオペ育児を賞賛するかのような動画を公開し、やはり批判を受けている(ワンオペ密室育児を美談にし、母性愛賛美を強化することは問題だ)。サントリー動画も記憶に新しく、例を上げればキリがない。

 グリコ・アーモンドピークの動画については、「なぜ男性である秋山にいちいち『いいよ』と言われないといけないのか」などという批判もある。確かにこの動画は、そのような受け止め方も可能なものだ。男性から許可される謂れもない。「いいよ」と言われなくても、勝手にやる。こうした批判は、真っ当なものだろう。別に、秋山を起用する必要もなかったし、「いいよ」というセリフを使わなくとも、「ズボラ」であることを肯定することは可能だっただろう。

 だが、グリコ・アーモンドピークの動画は、少なくともいまあげたような悲惨な企業の広告に比べれば明らかにマシだし、方向性も好意的に評価できるものだろう。こうした動画が増えて行き、また批評・評価されればされるほど、改善をはかり、そして差別化をはかるために、よりクオリティの高い動画が生まれてくるのかもしれない。過去に長澤まさみが出演するアンダーアーマーのCMを好意的に紹介したが(炎上相次ぐ広告業界に投下された、長澤まさみが水着で踊り狂うCMの良さ)、評価に値する広告は、今後もときおり生まれてくるだろう。

 この動画をいちいち肯定しないといけない現状を変えるためには、批判すべき動画は批判し、評価すべき動画は評価し、広告代理店や企業にニーズを伝えることが必要なのかもしれない。
wezzy編集部)

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