
人助けのつもりが…。Photo by Alyson Redding from Flickr
「メサイアコンプレックス」ーーメサイアは「メシア(救世主)」のことで、自分を満たすために人を救おうとするコンプレックスのことを、こういいます。
「困っている人を助けたい」「人の役に立ちたい」という考え自体はすばらしいことなのですが、その裏に劣等感や自己肯定感の低さがあると、“満たされない自分を満たすために人を助けようとする”ことがあります。「人を助けられる自分は幸せだ」「人を助けることで自分の価値を高めよう」としてしまうのです。
これはときに親切の押し売りになることもあり、ひどい場合は認知がゆがみ、意識的、無意識的に問題を作り出してしまいます。精神疾患の症状として、このコンプレックスが現れることもあるのです。……というと、とても迷惑な人のイメージが浮かびますよね。しかし、「自分は人の役に立たなければ価値がない」と考え「人にやさしくしよう」と思うことで、その人自身が自分を削って苦しむこともあるのです。
このメサイアコンプレックス(私は略してメサコンということもあります)、多かれ少なかれ抱えている人は多いのではないでしょうか。
「恵まれた」罪悪感
実は私も長いことメサコンを抱えてきました。最初にこの言葉を耳にしたのがどこかは思い出せませんが、自分がそうである自覚はうっすらありました。私は性暴力被害に関する活動を長く続けるなかで、ずっと罪悪感を感じてきました。最初は純粋に「自分が納得できないから、現状を変えたい」という欲求で活動を始めました。しかし活動をとおしてさまざまな被害者の方の現状を知ることになりました。
想像を超える、目を背けたくなるような現実がそこにはありました。たとえば被害者を取り巻く人間関係や経済状況。機能不全家族やいじめによって信頼できる人間関係を作る経験も持てず、追い込まれている人たち。経済的に困難で高い教育を受けること自体がむずかしかったり、大学の中退を余儀なくされたり、あるいは被害後に働けなくなったりした人たち。近親者からの被害をはじめ、性暴力が当たり前に起き続ける環境があることを知りました。また被害の内容も悲惨なものがたくさんありました。
一方の私は首都圏に実家があり、大学も休学しつつ7年間通うことができました。周囲の人たちに恵まれて、迷惑をかけながらも支えてもらってきました。被害も複数回ありましたが、結果的に挿入まで至らなかったのです。友人たちには「あなたはものすごく大変な人生を歩んでいる」と驚かれるのですが、苦しんでいるほかの当事者を知ってしまうと「自分は恵まれている」と強く感じましたし、「こんな恵まれた人と一緒にされたくない、あなたの発信は迷惑」「あなたは挿入もされていないのに、大げさに騒ぎすぎ。私はもっとひどい目に遭ったけれど何もない顔をして暮らしています」と当事者の方から連絡をもらうこともありました。