「メサイアコンプレックス」を知っていますか? 自分を肯定するために人を助け、自分も相手も苦しくなる
暮らし・美容 2017.09.30 14:00
「サバイバーズギルド」という、生き延びた人が感じる罪悪感がありますが、私もそうなのかもしれません。その罪悪感を埋めるために「私は救われたのだから、その恩返しをするために生きる」「恵まれているのだから、そのぶん人の役に立たなければいけない」そう考えて生きていました。自殺をしたいと思ったこともありますが、その理由は「自分が苦しいから」ではなく「このままじゃ私はみんなに恩返しができないので生きていてはいけないから」でした。いま考えるとすごく歪んでいるのですが、罪悪感型ともいえるメサコンをずっと抱えていたのだと思います。
活動以外の人間関係にも、それが応用されていました。私はもともと生きづらさを抱えて生きてきたので、そのぶん人の弱さや傷つきに敏感でした。元気そうにしているけれど傷ついていると思った人に「大丈夫?」と声をかけたり、人の相談に乗ることが多く、また人間が好きで関心を持って見ているので、コミュニケーションが苦手な人の意図を汲むのも得意でした。
結果、気づけばそうした人たちとの間に依存関係を形成していました。ねえさんと呼ばれ、場を仕切ることも多く、生来おせっかいいで人の面倒を見ることが私は好きなのです。弱さへの共感が人と仲よくなるきっかけになることもありました。男性相手だとそれが恋愛感情につながることもめずらしくありませんでした。
自分を削って、人を助ける。
しかし、いくら面倒を見ることや相手のために何かをしようとすることが好きだとしても、それが当たり前になってしまうと、「してもらって当然」と思われて、本来相手がすべきことを私の責任にされるとか、自分の時間を削ってでも会ったり相談に乗ったり電話したりして、余裕がなくなり追い込まれるといったことがありました。
自分にとってつらい関係になっても「この人はほかに頼れる人がいないんだから……」と自分を削って相手のために動いていました。できる限り状況を伝えて話し合っても、平行線になって一向に改善しないか、相手が落ち込むだけか、どちらかに終わりました。
友人たちから見ると「卜沢ちゃんはいつもワンコを連れている」そうで、いまでも“捨て犬拾いの卜沢”と呼ばれています。私に依存しやすい人は、傷つきやすく不器用で自己表現が苦手だけれどとてもやさしくていい人が多いのです。「彼は私がいないとダメなの」といったときに世間一般で想像されるいわゆる“ダメ男”とはかけ離れた、犬のように純粋に慕ってくれる人なのです。私がつらいと言っても、周囲から「いい人だからいいじゃないか」と追い込まれることもありました。
自分が納得してやっているつもりでも、自分を削ってしまうと、「あなたのためを思ってしているのに」と責任を被せるようになりますし、それによって相手に「自分はだめな人間」だと思わせたこともあるはずです。もしかしたら本当はその人のためにならないことや、望んでいないことを押し付けていたかもしれません。こういう人間関係は誰にとっても幸せではありません。