フジテレビによる定型謝罪は、メディアの差別問題を放置するのと同じ。とんねるず「保毛尾田保毛男」が不快だからダメなわけじゃないということ

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フジテレビはスタートラインにも立っていない

 また差別は「意図の有無」が問題ではない。どちらであっても差別は差別に変わりないのだ。フジテレビが行うべきは「意図が無かった」ことで弁明をするのではなく、批判されている企画が差別的であったかどうか、そしてなぜ差別であるのか、意図しない差別を行ってしまった原因を検証することだ。

 そして差別を「快/不快」の問題に矮小化させてはいけない。多くの人にとって「快」であったら問題ない、誰か一人でも「不快」にさせてしまったから問題という話ではないのだ。

 フジテレビがいう「不快な思い」の先には、差別があり、そして差別による排除や不当な扱いが存在する。快/不快を超えた、ときに直接的に生存に関わる重大な問題になり得るのだ。お決まりの定型文で謝罪をすることで済ませられるような話ではない(企業の「不快な思い」という言葉を使った謝罪については、ライター・マサキチトセ氏の記事「不快な思いとは何か 日本マクドナルドの対応から考えるメディアと差別の関係」を参照されたい)。

 フジテレビ報道局社員で元アナウンサー・阿部知代は、ツイッターにて以下のように発言している(阿部は、フジテレビの社屋をレインボーカラー照らす企画を行った『ホウドウキョク』に出演している)。

 定型文の謝罪を行うことで「手打ち」とされてしまえば、今後も類似の企画が行われ続けることになるだろう。また「なぜ問題なのか」を検証することなく、「口うるさく批判されるから」を理由に企画が行われなくなることは、差別問題が解決することにもならない。問題を解決するためのスタートラインにすら立てていないのが現状なのではないだろうか。

 レインボーカラーを掲げるだけなら、口だけの謝罪を行うだけなら、誰にだってできる。「今後の番組作りに生かしていく」と回答しているフジテレビは、どのように生かしていこうと考えているのだろう。問題が起きるたびに、批判が殺到し、迅速な謝罪が行われるという段階からいい加減抜け出さなければならない。
wezzy編集部:カネコアキラ)

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