10月22日に投票を控えている衆院選。新党の結成や合流など政局は混乱を極めていますが、そもそもこの選挙は「教育無償化」が争点として取り上げられていました。今回は「教育無償化」にも関係するお話をしたいと思います。
連載「女子教育が世界を救う」の初回で、教育には「人権アプローチ」と「経済アプローチ」があることを紹介しました。大雑把に説明をすると、前者は「教育を受ける権利」を実現するためのアプローチであり、後者は、教育の経済的な損得を踏まえて政策を考えるというアプローチです。
経済アプローチに基づいて教育を考える際には「私的収益率」と「社会的収益率」と「外部性」が重要になります。
私的収益率は個人が主人公です。教育を受けるためには、授業料はもちろん、その間働いていたら得られたであろう所得(放棄所得)を捨てなければいけません。これらを私的負担といいます。そしてその代わりに、教育を受けることで将来より高い賃金を得られたり、より健康で長生きできたりするといった私的利益を得られます。この私的負担と私的利益の関係を計算したものが「私的収益率」です。
社会的収益率の場合は、政府財政が主人公です。政府は、放棄所得による税収の低下(所得税などが減りますよね)と公教育への税金の支出というコストを支払い、教育を受けた人びとから見込める将来の税収増や医療費や社会保障費の政府支出削減という利益を得ます。このコストと利益の関係を計算したものを「社会的収益率」といいます。
さらに、教育水準の高い母親の子供は健康状態も教育水準も良くなりますが、これは教育を受けた個人でも、教育を受けられるようにした政府でもない、次世代の子供という第三者が利益を享受しています。これを「外部性」と言いますが、一般的に個人は外部性までは考慮しないので、この分も政府が考慮すべきだと考えられます。義務教育が無償なのは、一般的にこの社会的収益率と外部性が大きいからだと考えられているためです。
「私的収益率」と「社会的収益率」を比較することによって、その国である教育を実施したときに、コスト負担と利益が、個人と政府のどちらにどれだけ分配されているかがわかります。
単純に考えると、累進課税が強烈な国では、より高等な教育を受けて高い所得を得ている国民が高額な税金を納めてくれるので、社会的収益率が高くなります。しかし、今回の選挙で議題の一つとなっているような教育の無償化をすすめると、個人の教育費負担を政府が肩代わりすることになるので、社会的収益率に比べて私的収益率が高くなります。
では、日本は高等教育を無償化することによって、「私的収益率」を上げ「社会的収益率」を下げるような政策に乗り出すべきなのでしょうか? 先月、経済開発協力機構(OECD)から出版された「図表でみる教育」で、「私的収益率」と「社会的収益率」が精巧な方法で計算されていました(女子の大学教育の収益率はこの連載の中でも以前実施してみました)。今回はこのデータを紹介したいと思います。