バカリズムが『架空OL日記』で、抑圧されたOLたちのゆるやかな女子の連帯を描けた理由 西森路代×清田隆之(桃山商事)

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西森 『架空OL日記』で描かれるコミュニケーションでいうと、誰かに対して「あれ?」って思うことがあった場合に、当人がいなくなってから残された2人がちょっとだけツッコむのもよかった。ともすれば、いやらしいコミュニケーションに見えがちだけど、軽くツッコんで済ませることで、本人たちにストレスがたまらない。

清田 「女子はそこにいない人の悪口を言う」っていうのも一種のテンプレですが、そこを簡単に乗り越えてくる。

西森 女性に対する幻想が本当にないんですよね。

清田 やっぱり、あれだけミソジニーが強そうなバカリズムが、なぜこのような作品を書けたのか、つくづく不思議です。

西森 ドラマが始まった当初は「最後の最後でどんでん返しが来て、ミソジニー爆発で嫌な気分にさせられるんじゃないか」と危惧している人はツイッターでも見かけました。でも最後まで全然そんなことはなかった。バカリズムさんは相当な観察力を持っている人だから、それがコント「女子」みたいに悪い方向に出るときと、全然別の方向に働くときがあるのかも。

 とはいえ、この前、その女子力をバカにしたような以前のネタを見たんですよ。そしたら、バカリズムさんがすごく誇張した感じで、言葉遣いの面でも過剰に女子を演じていて。もちろん、ネタだからそうしないといけない部分もあると思うんですけどね。それが『架空OL日記』になると、ステレオタイプな女子を演じずに、バカリズムさんそのままでやっていて、ドラマとコントでは違うかもだけど、やっぱり相当な変化があるなと思いました。

清田 観察の結果、というのは大きいかもしれませんね。バカリズムはかつてアイドリング!!!と一緒に番組をやっていたし、それこそバラエティ番組なんかで無数の女性タレントと接してきているはず。そういう中で、ドラマで描いたような女性たちのリアルな生態を観察してきたのではないか……。

 ミソジニーって「女嫌い」と訳されますが、女性に過度な幻想を抱くのもミソジニーの一種ですよね。この社会で育った男には多かれ少なかれミソジニーがビルトインされていると思いますが、それを洗い落とすためには、女の人たちを一人の人間として直視する経験が必須だと思う。そういう観察の結果、男性が書いたとは思えない手つきの作品が生まれたのかもしれません。

西森 どの経験によるものかはわからないですけど、女性を一人の人間と見れないような杜撰な観察眼でできるネタなんて、今のお笑いのネタとしては弱いでしょうしね。

▼後編:「ウッチャン、『逃げ恥』、『バイプレイヤーズ』…ポリティカル・コレクトネスの中で生まれつつある新しいエンタメ 西森路代×清田隆之(桃山商事)」に続く
(構成/斎藤岬)

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