社会

小池百合子・希望の党が掲げる「寛容」は誰のための寛容か。都合よく利用される「LGBT」

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 ここで「排除」という言葉を使った小池百合子氏に注目をしたい。

 「政策協定書」に「外国人に対する地方参政権の付与に反対すること」とあるように、小池氏は在日外国人の「排除」を明確に打ち出しているが、「排除」は在日外国人に限った話ではないのではないか。

 小池氏は、昨年の都知事選出馬の際に「女性も、男性も、子どもも、シニアも、障がい者もいきいき生活できる、活躍できる都市・東京」を掲げていた。ここには今述べた「外国人」はもちろん、「LGBT」「性的マイノリティ」といった文言が含まれていない。

 保守色の強い小池氏であるから、当然のことかもしれない。だが一方で、今年4月に開幕された「東京レインボープライド2017」に寄せられた小池氏のメッセージには、「東京都は女性も、男性も、子どもも、高齢者も、障害者も、そしてLGBTの方も、誰もが希望を持って生き生きと生活でき活躍できる都市、ダイバーシティの実現を目指しています」と、「LGBT」という言葉が含まれた。

 都知事となってから「LGBT」の問題に関心を持つようになったという可能性もあるだろう。様々な場面で「排除」され、差別されてきた人びとに気が付き、具体的に政策を打ち出していくのであれば、その変化は歓迎するべきものだ。

 しかし、その3カ月後に行われた東京都議会選において、小池氏が創設し特別顧問を務める「都民ファーストの会」掲げた政策の中には、「LGBT」や「性的マイノリティ」など、性の多様性に関する記述はなかった。「政策パンフレット」の冒頭で、「誰もが輝く『ダイバーシティ』を実現」と述べておきながら、だ。

 小池氏は「レインボープライド」のようなイベントでは、その場にいる参加者にとって耳障りのよい言葉を使い、実際の選挙になると、途端に性の多様性に関する問題について口をつぐんできた。その時局で最も自分にとって得になる看板を都合よくとっかえひっかえしているように見える。希望の党の掲げる「寛容な改革保守政党」の「寛容」は、誰にとっての「寛容」なのだろう。

 今後、選挙戦が本格化し、具体的な政策などが争われるようになったとき、小池氏や希望の党、あるいはこれまで言及してこなかった他の政党が「得だ」「使える」と判断した途端、「LGBT」の看板を掲げだす可能性もある。

 小池氏が徹底的な自己責任論者であることは、過去にwezzyでも指摘されている(「小池百合子氏の『男女平等』は、『努力しない人はいらない社会』に繋がりかねない。」「『少子化は頼りない男が増えたから』。小池百合子からうかがい知れる強烈な自己責任論」)。そんな小池氏の「生き生きと生活できる、活躍できる」の中には、収入の低い男性、女性、子どもや高齢者、在日外国人、性的マイノリティ、障害者などは含まれているのだろうか。「生活・活躍できる場はあたえた。あとは自己責任」といって切り捨てていくようにしか思えない。

 そもそも在日外国人や性的マイノリティは、政治ゲームを有利にすすめるために使える「看板」などではない。人権の問題だ。軽々しく掲げたり引っ込めたりしていいものではない。多くのマイノリティは、こうして政治の世界で弄ばれ続けてきた。口先だけではない、いかに本気で社会における多様性を実現できるのか。今回の選挙は、候補者だけでなく、票を投じる私たちの本気度が問われているように思う。
wezzy編集部)

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