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「私は皆さんにもぜひ、ファースト・ペンギンになっていただきたいと思っています」
(小池百合子「WOMAN EXPO TOKYO 2016 Winter」)
女性であることで苦労したことはないと言い切る小池は、たとえば女性向けの講演会では「リスクを恐れず、群れから抜け出て真っ先に海に飛び込むペンギンのことを、『ファースト・ペンギン』と呼びますが、私は皆さんにもぜひ、ファースト・ペンギンになっていただきたいと思っています。私が言うのもなんですが、飛び込んでみたら意外と大したことないですから。この東京を、そして日本を、女性のパワーで変えていきましょう」(WOMAN EXPO TOKYO 2016 Winter)などという。男性優位の環境を改善しようと試みるのではなく、男社会に飛び込んでも負けない私を強調し続けてきた。このところの、ワイドショーの話題を独占するための先延ばし行為に共通するのも「男社会に挑む女」の構図を見せつけることだが、そもそも彼女は“女性の味方”なのだろうか。甚だ疑問である。
現在の自民党の中枢が、「女性活躍」などと女性の社会進出を謳いつつも、本音では古めかしい家族像に差し戻そうとしているのは明らかなこと。働き方の多様性云々ではなく、活躍できる女には活躍してもらって、基本的にはやっぱり女は家にいて欲しいという心根がある。自民党改憲案の第24条には「家族は、互いに助け合わなければならない」が盛り込まれているし、思い返せば、出産適齢期をほのめかし晩婚化を避けさせようとの狙いを持つ「女性手帳(生命と女性の手帳)」の導入を目論んでいた。育児を女性に丸投げする「3年抱っこし放題」なる施策もあった。
結局、女たちにはこれまで通りに女の役割を遂行してもらい、社会で活躍してくれる「輝ける女」であれば国がサポートしましょう、という考えである。それってつまり、男性主導社会や仕組みを根底から変えようとは思っていない。時代の空気を読み取るのが上手い小池は、そういった「男の政治」全般を指差し、「しがらみ」と片す。その様子を見た女性週刊誌は「小池氏が永田町の“古狸たち”を相手に大博打に打って出た。あぁ痛快かな」と書く。しかし、本当に“古狸たち”を相手に戦っているのだろうか。むしろ、追随しているのではないか。女性の味方ではなく、そう言っとけば票になるから、味方をよそおっているだけなのではないか。