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「女性は指をくわえて、ただただ仕事を与えられるのを待っているだけではいけません」
(小池百合子・編著『20/30プロジェクト。』)
しっかりと思い出しておきたい。2013年、自民党内に「婚活議連」なるおせっかいな組織ができ、その代表が小池だった。そこで小池が言ったのは、婚活に国が介入することによって「少子化対策と地域活性化という2つの国家的課題をいっぺんに片付けてしまう」である。いっぺんに片付ける、これが個々の女性の生き方に寄り添う姿勢とは到底思えない。
2020年までに、指導的地位の女性の割合を30%以上にすることを宣言した小池による編著『20/30プロジェクト。』を読む。これからの労働力不足を改善するのは、外国人なのか女性なのか、という2択を提示し、「『外国人をこれ以上受け入れること』と『日本の女性が社会に出ること』、どちらが日本社会の価値観を保てるのでしょうか」「どちらかを選ばなければならないという瀬戸際にある日本にとって、答えは自ずと出ているように思います」と、外国人より女性ですよね、という身勝手な2択に対し、身勝手な回答を出している。首長になった今でこそ女性の働き方に関連する施策を打ち出しているが、その内心を覗いてみれば、ガイジンが嫌だからオンナ、なのだ。
こんなことも言う。「女性の場合、仲間づくりは苦手です。組織をつくったり、動かしたりすることに長けているとは思えません」。賛同できない。日本では、飲み会の場で仕事の意思決定が下される「飲みニケーション」なる悪しき慣習があるが、そんな慣習は排除し、子育てしながらでも意思決定の場に参加できるようにすべき、くだらない「放課後接待」なんて全廃してしまえ……というのは、小池ではなく私の意見。
小池の意見はこうだ。「女性も指をくわえて、ただただ仕事を与えられるのを待っているだけではいけません。飲みニケーションが良いか悪いかは別にして、何がなんでも参加してやろうという意欲がなければ、『ガラスの天井』は破れません。新約聖書の『求めよ、さらば与えられん』ではありませんが、本人が自ら求めなければ前には進めません」。いや、だから、子育てしながら働いている人は、飲みニケーションの場にすら参加できないのだ。新約聖書がなんと言っていようが、求めよ、って言われても、行けねぇのだ。
選挙の結果によっては総理の座すら狙える位置にある現在では、こういった短絡的なことは言わないように心掛けているはず。しかし、彼女のこれまでの発言を少し辿れば、女性にとって働きやすい環境を整えようとの意識は薄く、自分のようにものすごく頑張れる女性は頑張りましょう、そうではない人は早く結婚して家に入りましょう、という考え方が見えてくる。それって、安倍政権の家族政策・女性政策の裏テーマに律儀に乗っかったものに過ぎない。これらを振り返らずして、小池は女性の味方だと評価するのは短絡的である。小池の性別が女性だからといって女性の味方だと即断すべきではない。「男社会」という枠組みを「しがらみ」だと指差しているが、小池自身のキャリアや言動を振り返れば、率先してその「しがらみ」の保持に参画してきたことが分かる。都合良く「女性の味方」を使った「しがらみのない政治」アピールに騙されてはいけない。