
公開研究会『道徳的保守と性の政治の20年—LGBTブームからバックラッシュを再考する』より
去る8月5日、東京大学・清水晶子さん(フェミニズム/クィア研究)の司会のもと、「道徳的保守と性の政治の20年 LGBTブームからバックラッシュを再考する」という公開研究会が開かれました。遠藤まめたさん(「やっぱ愛ダホ!idaho-net」呼びかけ人代表)、飯野由里子さん(東京大学、クィア研究/ディスアビリティ研究)、山口智美さん(モンタナ州立大学、フェミニズム研究)からの発表がwezzyで順次紹介されてきました。
「男女共同参画社会基本法」が1999年に施行された後、女性運動に対するバックラッシュが激化しました。「LGBTブーム」と言える現在、バックラッシュの過去を再検証し、女性同様に、身体や社会的地位における権利保障を求める性的マイノリティに関する運動にどう活かすか、というまとめが清水さんによって話されました。当日欠席で、発表代読のみだった遠藤さんを除く三名がくりかえし指摘するのは、清水さんがまとめで表明されていたように「かつてのバックラッシュ勢力と現在の保守政治グループは同じ」ということ。その後、客席側との質疑応答が行われました。学者らアカデミアの人々が、ジェンダーや、それらにまつわる政治について精緻に議論することの意義と、一般に広がる可能性を探る必要を感じさせられる内容でした。
【道徳的保守と性の政治の20年—LGBTブームからバックラッシュを再考する】
・ポストトゥルース時代に、性の問題を改善するためにできる3つのこと
・反性差別と「性別二元論」批判を切り離したフェミニズムの失敗を繰り返してはいけない
・フェミニズム・性的マイノリティを攻撃する保守勢力は、20年前から変わらない
・女性たちと性的マイノリティは共闘できる。「道徳的保守と性の政治の20年 LGBTブームからバックラッシュを再考する」レポート
「普通の人々」にメッセージを届けるために必要な地道な議論
基本法によって、ある程度女性の社会進出が後押しされたところもあるでしょう。しかし、犠牲になったものもあったかもしれず、山口智美さんは、この法律の前文に少子化が記載されたことも問題だったと指摘されています。これはつまり、国政が女性の身体に介入する可能性がある、ということです。
山口さんは、この男女共同参画社会基本法を上手く活用し、女性に平等な権利がもたらされたか? 派生する法律や地方の条例がどういう影響を及ぼしたか? そういった検証がされていないのではと懸念します。
「女性の健康に関する包括的支援法案」は2014年、16年と二度も国会に提出され、また再提出される可能性があり、「家庭教育支援法案」の提出も予想されます。このように女性の権利を侵害しかねない国の動きは続いています。また、安倍政権が本年8月に改造した内閣(第3次安倍第3次改造内閣)では、女性活躍担当が野田聖子氏、男女共同参画、一億総活躍が松山政司氏、働き方改革が加藤勝信氏など、担当大臣がそれぞれ別で、女性やマイノリティの権利保障が軽視されている可能性も山口さんは指摘します。
ではどうすれば運動として広がるのか。この課題は、LGBTコミュニティやフェミニズムの運動側でも宗教的/道徳的保守側でもない、いわゆる「普通の人々」についてどう考えるか? という会場からの質問にも通じます。宗教保守の人たちを変えるのはむずかしい、けれど地道に議論を重ねれば、それ以外の人たちにはメッセージが届く可能性がある、と山口さんは答えます。
別の参加者からは、稲田朋美氏がかつて「性的指向・性自認に関する特命会議」でサンフランシスコでの慰安婦像設置の動きについて視察中に「現地のLGBT団体が日本を支持してくれた」と発言したことを引き、「普通の人」を取り込むバックラッシュ側の動きについて言及がありました。
山口さんはまず、バックラッシュをする保守の人たちも、別に特殊な人たちということはなく、いたって「普通の人」たちだ、という注意を喚起します。さらに「海外在住の日本人コミュニティでは、例えば日系企業がやっているゴルフコンペに行き、そこで慰安婦像反対の署名を、と言われるなどもあるといいます。興味がなくてもそこから逃げるのは難しい」という例も山口さんは話します。これは同調圧力と言えます。さらに、海外の日本人は日本の状況をネットで追うことが多いけれど、そこには右翼や保守派の言説、情報があふれている。こうしたネット上の動きなどにも地道に批判し、しっかり対抗しないといけない、と草の根的な動きの必要性も訴えます。
「LGBTブーム」に乗るべきか、乗らないべきか?
「LGBTブーム」のなかで、人権より経済が優先されかねないような発言が、LGBTコミュニティのアクティビストからあがることもあります。
性的マイノリティの人たちのなかで、収入の高い人たちを「ピンクマネー」「レインボー市場」と呼ばれる「LGBT市場」として、学歴や能力が高い人たちを労働資源として見る向きがあります。こうした経済的な有用性、つまり「お金になる」という発想のもとでは、権利保障がバーターになる可能性が生まれます。このとき、経済格差が権利の差をもたらす可能性を清水さんは懸念します。
お金にならない人は後回しという事態は、例えば「渋谷区パートナーシップ証明書」ですでに表れており、この制度はお金のかかる公正証書の提出が求められています(しかし異性間の婚姻制度と同等ではありません)。
現状、性的マイノリティの中でもゲイの男性が主に社会進出が進んでいると言えるのではないでしょうか。そもそも男女間の賃金格差からして、シスジェンダー(性別に違和感を抱かない状態)であるゲイ男性より、レズビアン/バイセクシュアルの女性のほうが平均的に賃金が低いと考えられます。またトランスジェンダーの場合、見た目のうえで自身のジェンダーを隠すのが難しいという点で、就労の困難が想定できます。しかし、「レインボー市場」として規模を算出する電通のような広告代理店は、こうした性的マイノリティ間の格差について検証しているとは言えません。
確かに、お金がなければ生きていかれない以上、経済は誰にとっても重要な課題です。しかしこうした人たちが「経済的に有用」と見なされないとき、権利が保障されないのだとしたら、それは平等とは言えません。
「LGBTブーム」の背景には2020年の東京オリンピック/パラリンピックがあります。国連では性的指向や性自認に対する暴力や差別からの保護を採択しており、またオリンピック憲章でも差別は禁止されています。2020年のオリ・パラに向けて、日本国内の性的マイノリティの権利保障が目指されるべきということで、ブームが起きていると言えますが、逆を言えばタテマエで終わる可能性もあります。
経済的側面を打ち出すことで広まったとも言える「LGBTブーム」ですが、じゃあ乗らないほうがいいのか? 乗らないと人権問題の推進はむずかしいのでは? という質疑もありました。これは「乗る・乗らないの二択で考えられるものではない」と清水さんは答えます。そもそも権利保障を推進しようとする側は「LGBT」について言及せざるを得ず、巻き込まれてしまう側面があります。しかし「ブームが来ているから今乗らなきゃ」と前のめりになってしまうと、抜け落ちてしまう議論がある可能性には注意したほうがいいと、清水さんは付け加えます。この点は飯野さん、山口さんの発表でも指摘されたように、男女共同参画社会基本法の際に、するべき議論が抜け落ちたまま乗っかってしまった結果バックラッシュにあって後退を強いられた、女性運動の歴史にも通じるのだ、と。
飯野さんからの応答で、2020年オリ・パラに向け、経団連によるダイバーシティ・インクルージョン(多様な人々の包摂)に関する提言や、厚生労働省から、社内規定の中に性的指向や性自認に基づく差別やハラスメントなどを禁止する条項を盛り込む指針が出ている、という報告がありました。大企業の一部のみが対応しているのが現状とは言え、飯野さんはこうした動きに一定の評価をしながらも、その一方で企業側としてはイメージ作りのために利用している側面を忘れてはならないという注意も喚起しています。
例えばある企業が「LGBTに優しい」とか「女性の活躍を推進している」と看板を立てているとき、内部で差別やハラスメントの存在があっても、「企業はがんばって善処しようとしてくれているのだから、ハッピーでなければいけない」というプレッシャーを生む可能性があるという、海外の事例があるそうです。つまり「いかに差別が語れなくなるか」というジレンマを軽視してはいけない、ということです。
また、労働現場における権利保障と言っても、先述のとおりシスジェンダー男性はシス女性やトランスジェンダーより平均的に恵まれていると言え、どの属性の人たちの権利保障を優先するか? という課題も生まれます。客席から、そもそも労働者の権利が削がれている現状が指摘されましたが、その問題と、いまだはびこる性差別の解消や、性的志向や性自認にまつわる就労差別は並行して考えられるべきだと思います。とは言え、「男も女も、シスジェンダーもトランスジェンダーも、みんな労働においてはたいへん」というような形で一般化されると、どういった立場の人が優遇されているか? どういうときどういう立場の人に差別や不平等が起きるのか? という問いが抜け落ちてしまうので、気をつけなければいけません。
遠藤まめたさんの発表のとおり、15年前のフェミニズムへのバックラッシュ派が、現在の性的マイノリティの権利運動にも反発しています。つまり、それだけ草の根保守の反発の動きには注意が必要で、フェミニズムが潰された状況と同じことが繰り返されてはいけない、と清水さんは言います。2020年以降「お金にならない」と判断され、関心が薄れる可能性が高く、ブームが終わると予測されます。使っているつもりが使われないように注意を払うという清水さんの提言には、バックラッシュの痛手からの学びがうかがえ、性的マイノリティの運動にも無関係ではないと考えました。
「男性仕立て」のメディアが報じないこと
女性問題や性的マイノリティ問題に関するさまざまなテーマが広く一般に共有されるためには、メディアの力は軽視できません。
現在、田嶋陽子さんについての研究をされている山口さんによると、90年代前半から10年間ほど田嶋さんはテレビ番組に出続けました。田嶋さんは叩かれていたというイメージが強くある人もいらっしゃるでしょうが、実はポジティブに扱われることもあったそうです。けれど、現在はテレビにおいてフェミニズムやジェンダーの話、女性問題などは話題にしにくいといいます。また、メディア批判や抗議をするとバックラッシュにもあいました。こうした流れ(例えばハウス食品のラーメンのCMで「私作る人 僕食べる人」というコピーへの抗議行動)は70年代から現在に続いている、と山口さんは続けます。一方、女性学などアカデミアからはこうしたメディア抗議運動は「モグラ叩きだ」とあまり評価されてこなかった面もあったそうです。バックラッシュ側は過去からずっと変わらず草の根的に動いており、対抗する側も地道に向き合わないと、と市民からのメディア抗議の積み重ねの重要性を山口さんは指摘します。
今年の1月、トランプ政権が誕生したときアメリカでは各地で「ウィメンズマーチ」が起こり、ワシントンでは大規模な集会も行われ、白人女性のみならず有色人種やトランス女性も登壇していました。「ウィメンズマーチ」は、妊娠中絶を支援するNGOへの助成を禁じる大統領令へのトランプの署名に対し、強く抗議しました。女性のリプロダクティブ・ヘルス/ライツ(性と生殖に関する健康と権利)に大きな影響のある問題だからです。しかし、山口さんもツイッターに投稿されていたように、日本のニュースではほぼ黙殺されていたという印象があります。
新聞、雑誌、テレビ、ラジオなどメディアでは、ジェンダーやセクシュアリティの別なく共通の課題として、経済や外交といった大文字の政治が取り上げられがちです。これは、メディアの内側はそもそも男性が多い、つまり「男性仕立て」の価値観に基づく判断になる可能性があります。
例えば、日本新聞協会によると女性記者も増えているようです。ただ、保守としてバックラッシュにも関与した櫻井よしこ氏のような存在もありますし、小池百合子氏はかつて、経済政策のもと国が家族に干渉する政策のための、自民党内の「婚活議連」で代表を務めていました(余談ですが、現在も「希望の党」で「ダイバーシティー(多様性)社会の実現」をうたう一方で、排外主義や歴史改竄に加担していると言えます)。メディア従事者にしろ政治家にしろ、女性なら誰でもいいから増えればいいというわけではないでしょう。
しかし、構成員の3割以下だと女性に対する負のレッテルを気にしたり、女性同士で連携が取れない、という議論もあります(三浦まり『日本の女性議員 どうすれば増えるのか?』 (朝日新聞出版、2016) )。 こうしたジレンマを抱えながら、先述のとおりジェンダーやセクシュアリティに基づく差別が解消されているとは言えない現状の中、女性やLGBTなどマイノリティに関する社会問題もニュースとして価値のあるものだと、どのように声を届け、広げていくか? 課題はまだまだあります。
バックラッシュ時の断絶を繰り返していけない
「LGBT」という呼称について、とりわけトランスジェンダーから「LGBは性的指向、TGは性自認/性表象の話だから別」あるいは「社会的にTGの方が困難を抱えやすい、LGBは黙っていればバレない」といった理由で、いっしょくたにされたくないという申し立てを聞くことも少なくありません。
たしかにこれは一定の検討の余地はある課題だと思います。例えばトイレについては特にトランスジェンダーに関する課題なのに、「LGBT専用トイレ」とひとまとめにする報道によって問題の焦点がボヤけたり、同一視される誤解を招きかねなかったりする。
しかし、個々の課題をていねいに掘り下げる作業と、性にまつわる困難を抱える者同士が共闘関係を結ぶことは、同時に達成され得るのではないでしょうか。
バックラッシュ時に、フェミニズム側はトランスフォビア(トランスジェンダー嫌悪)やホモフォビア(同性愛嫌悪)を抱えていたそうです。そこを認めるところから始めようと、飯野さんは訴えます。そして先述のように、LGBとTの差を雑に扱い、断絶させてしまうと、犠牲になるものも大きいのではないかと、この反省から学ぶところも大きいと思われます。
3者の報告ではふれられていなかった、「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」(通称:性同一性障害特例法)という、フェミニズムへのバックラッシュにも関わる話が客席からあがりました。この特例法は、「性同一性障害」という病理概念に取り込まれた人のうち、「生殖能力がない」「未婚」などの要件を満たした人のみ戸籍上の性別変更が可能というものです。つまり、シスジェンダー男性/女性のあり方や既存の家族主義をもとにした法律と言え、多様な性のあり方や家族の形を認めない側面があり、トランスジェンダーである人の中からも批判の声も小さくありません。
男女共同参画基本法も、男女二元論や家族主義に根ざした法律で、特例法を支えている価値観の問題点とも重なります。飯野さんによると、当時、日本女性学会にいたクィア系の論者は早い段階から問題視はしていたけれど、そうした論点がフェミニズムの議論の俎上に乗せられることは残念ながらなかったそうです。
女性と性的マイノリティの運動は共闘可能なはず
今回の研究会で強く印象に残ったのは、バックラッシュに対抗するには、とにかく精緻に批判し、草の根的に抗議をする、ということの重要性です。昨今も、法律立案、憲法改正など国政の動きだけでなく、メディアにおける女性蔑視、性的マイノリティ蔑視な、規範的な表現は続いています。こうした諸々の課題に対して、学者や知識人といった権威的な立場の人たちが粗雑な議論を披露して「お墨付き」を与えているケースもあるので、アカデミックな丁寧な議論をしつこく繰り返していかなければいけない場面も増えていると思います。また、一般市民も、流言に惑わされないように安直に議論に乗らず、ツイッターなどSNSでの意見拡散にも注意が必要ではないでしょうか、
フェミニズム、女性学の議論がゲイ・スタディーズやクィア理論に援用されていることからも、バックラッシュの歴史は参考になるし、また女性たちと性的マイノリティそれぞれの権利運動は共闘可能なはずだと感じました。人種や国籍にまつわる権利とも関係があります。政治や学問の言葉はむずかしい、と一般には切り捨てられる可能性がありますが、メディア側の人間として、簡略化せずいかに伝えるか、という真摯さが問われているとも思います。
(鈴木みのり)