卵が先かニワトリが先かだが、マスメディアの公式的な表現でもいちいち「家事・育児は女性がやるもの」という大前提をもとにした用いられ方をしている。
子供用オムツや冷蔵庫などのCMで、オムツを替えているのもキッチンに立っているのも女性だし、それをまた幸せの象徴であるかのように描く(商品だから幸せそうに見せるのは仕方ないけど)。
男性がメインで出演するとなると、「パパでも安心♪」とか「ママ、頑張りすぎちゃうからねっ(良夫アピール)」みたいなコンセプトの表現になる。イコール「本来なら妻(母親)である女性がやるものだけど、現代は夫(父親)も家事や育児に貢献するのが幸せな家庭の在り方」であることを示しているわけで、同時に「イクメン」だの「家事に協力的な夫」だのの言葉が蔓延してはいないか。家も子供も二人の共有物なのだから(特に共働き家庭に於いては)二人で同じように守っていくのは当たり前な話で、協力も参加もないだろう、二人ともやるのが大前提だろうと私は考えているから、子育て関係の商品やイベントがどれもこれも「ママ」をターゲットにしていることも含めて、違和感が増幅するばかりだ。どうして性別にかかわらない「親」をターゲットにしてくれないのだろう。
妻である女性が社会に出て働いていたって誰も物珍しい目では見ないのに、夫が家事や育児に勤しんでいるとたちまち褒め称えられるこの矛盾を、なぜ皆(笑)で済ませられるのだろう? 仕事(収入を得る)・家事(快適な住居維持)・子育てを二人で担っているだけのことが、本当の意味で当たり前になるのは何年先のことなのだろうか。
拭いきれない自分の中の「主婦像」「母親像」
先日会社の飲み会に参加した時、やっぱり皆、開口一番「ご主人いいの?」「お子さん大丈夫?」だったわけだが、宴の途中でも「いいご主人だね~! お子さん見ててくれて♪」なんて言葉が飛び交った。彼(彼女)らは、毎日私が朝から夕方まで必死に仕事をしているのを目の当たりにしているのに、だ。
きっとこういったシチューエションにおいては「こんにちは」「お元気で何よりです」ちと同じくらい定番の意味なしフレーズなんだろうが、頭で考えることなく自然に出てしまう言葉こそが命取り。積み重なれば社会の認識となり、若い世代にも受け継がれていく。私にはこれが怖くてたまらない。そして現在は、びっちり積み重ねられてきた社会の認識をほぐせないから、保育や介護に関する様々な社会問題が噴出しているのではないか。
それに、家庭における役割意識が変わらないまま女性の社会進出が更に著しくなれば、女性の負担はただただ増える一方。晩婚化だの少子化だのを問題視した結果、女性の社会での受け皿を増やしたり保育制度の見直しなどがなされてきたが、本当の問題はそこにはないような気がしている。
こんなに強い憤りを持っている私だが、「家事や育児は女がやるもの」の認識が私自身に全く根付いてないわけではなく、それが時折自分を苦しめる。とっても不平等だとは思っているし憤っている。けれど、昔から無意識にこの“常識”を植えつけられてきたから完全には消し去れていない。
だから夫がたまに洗い物をしているときリビングでだらだらしていることが何だか申し訳ない気がしてつい立ち上がり別の家事に取り組んでしまう。普段は私が何時間家事をしてようが夫はダラダラ寝ているのだから、こんなの屁でもないことのはず……私は今は休む!! と自分に言い聞かせてもやっぱり居心地が悪いのだ。
そのたび、なぜこんな思いをしなきゃならないんだ……!! と勝手にイライラしてしまう。二人で一つのパンを半分こするのに罪悪感なんて全くないのに、家事や育児となるとそうはいかない何かに苦しめられて本当に疲れてしまった。
面倒くさいことを乗り越えようとしない呑気な夫にも腹が立っているが、もしかしたら一番の問題は、拭いきれない自分の中の「主婦像」「母親像」なのかもしれない。
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