こうした月経観は、大正時代なかばには、医療関係者のみならず、女子教育や犯罪論を介して、ある程度世間に認知されていた。
例えば、著名な精神科の医師が上流階級の女性たちを前にした講演会で、「三越あるいは白木屋等において比較的教育ある婦人あるいは相当の位置を有する奥様または令嬢方が万引をすることがあるということを時々耳にいたすが、これは自殺者の場合と同様、月経時に内部的精神に多少影響をこうむり、少しの刺激にも感じやすき状態に置かれておるところに、外部的刺激すなわち美しき着物、装飾品、化粧品等を見て一層動かされ、この内外の原因によっておぞましき万引なる犯罪をあえてなすにいたるのだと思う。このほか、夫婦間の不和喧嘩、窃盗、殺人罪中詳細に調べたなら、おそらく月経と関係を有する場合が多いことと思う」と述べている。
こうした専門家たちの見解をもとに、女性の犯罪や自殺は月経と関連づけられた。1919年に島村抱月の後を追った女優松井須磨子の自殺も、月経によるものと解釈されている。当然ながら、女性が犯罪を犯した場合は、司法精神鑑定で必ず「犯行時の月経状態」が聴取され、月経中であったと主張すれば、かなりの確率で罪が減免されていた。
戦後になっても、女性の犯罪を月経で解釈しようとする傾向はなくならず、特に精神医学者の広瀬勝世は、「月経と犯罪の関連性」についての研究に力を注いだ。そして、その研究の過程で紹介したのがPMSだった。
つまり、日本におけるPMSは、女性犯罪論においてデビューしたのである。
PMSによる精神変調ばかりが注目され、“ホルモンに翻弄される女性像”をメディアが興味本位で取り上げる背景には、こうしたPMSと日本人の不幸な出会いがあったのだ。
広瀬勝世の研究は、従来の「犯罪における月経要因説」を前提として、それらをPMSという内分泌(ホルモン)学の知見によって裏付けようとしたものだった。もちろん、“月経時”に多いとされてきた犯罪を“月経前”症候群で説明することには無理がある。しかし、それが通用してしまうほど、犯罪学の世界には、“独特の女性観”があった。
今も、刑事・司法の現場には、相当のジェンダーバイアスがかかっていると推察される。それは時に、容疑者の女性にとって“有利”に働くこともあるが、逆に取り返しのつかない結果につながることもある。
1 2