先日、調剤薬局の受付で待たされていたところ、有線放送からNIRVANAの「レイプ・ミー」が流れてきたのでびっくりした。BGMにするにしては「耳に優しくない洋楽TOP3」に常時ランクインしそうな歌詞だからだ。私は昔NIRVANAのコピーバンドを組んでいたことがあるが、ボーカルが自宅で歌っていたときに「その曲だけはやめて」と向こうの親に止められていた記憶がある。
NIRVANAのボーカルだったカート・コバーンは享年27歳の若さにして銃をくわえて天国に行ってしまった「27クラブ」(ロック界にはやたらこの年齢で死亡するアーティストが多い)のひとりである。高校生だった頃、単に音楽に惹かれてカートのことを好きになった。彼が「自分はバイセクシュアルかも」と発言したり、ホモフォビアや女性嫌悪に対して腹を立てていたりしたことを知ったのは、ずっと後になってからのことだった。
カートはこんな言葉を残していた。
「ファンたちにリクエストがある。もし君らの中に、何らかの形で同性愛者や肌の色が違う人、あるいは女性を嫌っているやつがいたら、これだけお願いしたいんだ。俺たちに関わるな!ライブも来るな、レコードも買うな」
自分の好きなアーティストが予想よりもフェミっぽかったりLGBTフレンドリーだったりするとやっぱりうれしいものだが、カートの場合「フレンドリー」なんてもんじゃなくて「うんざり」の四文字にすべてが集約されそうなところがグッとくる。というか、社会の大半に「うんざり」だから冒頭のような曲を作っているのだろう。レディ・ガガみたいに愛でヘイトに打ち克つタイプもいるが、アートはそんなに上品じゃなくてもいい。そんなわけでNIRVANA、やっぱり、最高。
逆のパターンもある。私は池袋で月に一度、10代から23歳ぐらいまでのLGBT(かもしれない人を含む)の居場所である「にじーず」をやっているのだが、中高生たちは作品の中に出てくる性差別やホモフォビアに敏感だ。先日も、あさのあつこ『バッテリー』の中で親密な男子二人を「ホモではない」とわざわざ言わせるシーンが出てくるんだと高校生が言っていた。10代には10代なりに毎日ダルいことが発生するが、つかの間の安らぎのためにイヤホンを耳に入れると、好きな音楽にもホモフォビアな歌詞が出てくる。そういえば自分も昔、椎名誠が突然読めなくなった時期があった。
フジテレビ社長の謝罪によって「とんねるず」のコントキャラ「保毛尾田保毛男」は永久に葬られたかもしれない。でも地雷はそこらにあって爆破処理できるキャパシティも超えている。これらをどうするのかは、今後もずっと課題なのだろう。「悩んでいる子どもが見たらどうするんだ」というよくあるフレーズは、かれらの強さやプライドをかえって損ねるかもしれない。みんなにNIRVANAを勧めるのには音楽の趣味というのもあるだろうから、こんなとき、私にはひとまず「自分の親には聞かせられないような曲を聞け」ぐらいのことしか言えない。