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1960年代米国、差別と戦いながらNASAで働く3人の女性を描いた映画『ドリーム』に、現代日本における働く女性の不自由を見る

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男性も革靴とスーツが必須なんだから同じじゃないかと思われるかもしれません。けれど、いざというときのダッシュ力が違います。

電車に乗り遅れそうになったとき、ヒールでは走れない私を革靴で追い抜いてゆく男性を見たとき、己の足元に視線を下げて思いました「このへんてこな突起物さえ靴についてなければ!」と。この瞬発力の差は仕事での生産力にも反映されると思うのですが、なぜ女性だけこんな動きにくい格好をしなくてはならないのか不思議でなりません。

誤解されるかもしれませんが、女性がヒールとスカートを履くことに反対なわけではありません。素敵なパンプスで実に素早く陸橋を渡る老婦人を先日見かけたばかりです。「ヒールとスカートが好きだし動きが制限されることもないから着用したい」という女性や男性は、それを履けばいいと思います。いろいろ弊害がある人であっても、社会からそういう服装が強要されるのは非生産的だな、と思うだけです。

ハイヒールでトイレに全力で走らねばならないキャサリンの受難を「過去の遺物」と捉えてこの映画を楽しむことが、一部の日本女性にはまだ許されていないのが現状ではないでしょうか。

声を上げつづけるしかない

 では数十年後には、「昔はこうだったわねえ」と笑って『ドリーム』を見る、そんな未来を日本で迎えるにはどうしたらいいのでしょう。

 それには、個人のエゴを超えたところで声を上げつづけるしかないと思います。

「お茶くみは女性にやってもらうのが一番ですから」

 そんな言葉を聞いたとしても、私はついつい聞き流してしまいます。余計なエネルギーを使うのは疲れますし、いちいち怒るのはめんどくさいですから。

 しかし、『ドリーム』ではキャサリンは男性同僚の前で怒りをぶちまけ、メアリーは裁判を起こし、ドロシーは無職になるリスクを承知で行動し、発言しました。

 そうした女性たちの努力の末に米国の現在があるとしたら、日本にいる私たちも怒りつづけ、声をあげつづけるしか道はないのではないでしょうか。

 とはいえ、存在するすべての社会的理不尽に怒り声を上げつづけるのは不可能です。我々は闘いを選ぶことにも熟達しなければなりません。うまく怒りのエネルギーを貯め、もっとも効果的な闘いでこそ、そのエネルギーを使いましょう。

エゴを超えたところに希望が

 私が米国で学生だったころ、日本では女性は若くないと雇ってもらえない、と話すと中年男性にこのように不思議がられました

「それは何故だ? 一般的には年齢が上の人のほうが知識も技術もあり、性格も落ち着いている。学校を出たての騒がしくて無知な若者より、経験がある大人を雇いたい、と思うのが普通じゃないのか?」

 35歳以上の女性を経験・資格に関わらず書類で不採用にすることに、論理的な理由などありません。アフリカン・アメリカンが肌の色で現在でも差別されているのと同じ、すべて主観に基づいた偏見、差別、エゴの産物でしかないのです。

 米国にも性別・人種・性的指向・身体的ハンデ・宗教・出身地、その他もろもろに対する偏見とエゴに由来する就業差別がいまよりもひどかった時代がありました。それから何十年を経て、『ドリーム』のような映画が一般観客向けにハリウッドで制作されるまで米国市民の意識が変わったのは、差別される側が行動を起こしつづけたからです。

 個人のエゴを超えたところにある、宇宙の領域に日本にいる私たちもきっと到達できます。エゴを一旦置いて協同する、それこそが我々女性の特徴だからです。そんな未来を実現するには、私たちひとりひとりが声を上げつづけることが不可欠なのではないでしょうか。

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