「変わること」を頑なに拒絶する芸人
ブログが書かれた2012年は、「LGBT」といった言葉や性的マイノリティに関わる社会問題は一部のメディアなどで認知されている程度でしかなかった。少なくとも、現在ほど様々なメディアで取り扱われ、社会問題として広く議論されるような状況とは程遠かった。
「オカマキャラ」は藤井氏がブレイクするきっかけとなったキャラクターだ。「作家さんが考えて下さり、衣装さんが探し回って見つけてきて下さって、先輩がアドバイスして下さって、やっとこさ出来てたひとつの役柄ですが」とあるように、周囲からの支えもあった、思い入れの強いキャラクターだろう。事実上の封印は、心情的に容易ではなかったかもしれない。それでも、藤井氏は、雑誌で「オカマじゃないくせにオカマを馬鹿にしている」と書かれたこと、そして「放送上不適切な言葉となりカットを余儀なくされ」たことをきっかけに、考えを深め、現状を理解し「笑って下さる方がいる一方で不愉快にさせている事を知りこれからどうして行こうかと考えました」という結論に至ったというのだ。それも、おそらくブログを書く2012年より以前に。
もちろん、藤井氏が「オカマキャラ」によってブレイクを果たし、現在の地位を確立した事実は変わらない。しかし、今のように、テレビ、新聞、そしてSNSや個人ブログなどで、大々的に批判されるような時代でなかった2012年に、自身のキャラクターのはらむ問題に気づいた藤井氏の変化は、賞賛に値するものだ。
藤井氏に比べて、保毛尾田保毛男騒動に対する一部の芸人の反応は、あまりにも頑なに「変わること」を拒絶し過ぎのように見える。
マジョリティは、マイノリティをめぐる様々な社会問題や差別をどうしても見過ごしがちだ。無自覚のうちに、そしてときに意図的に、マイノリティへの偏見をもち、抑圧し、差別してしまっている。当事者らの努力によって、徐々に可視化され、社会で共有されるようになった問題に必要な態度は、「変わること」を拒絶するというものではなく、藤井氏のように、問題を受け止めて、「変わる必要があるかどうか」を考えることなのではないだろうか。
(wezzy編集部)