女性アスリートの肢体を性的に鑑賞することを、「男はそういうものだから」で許容する社会のままでいいのか

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 また、ここ数日、2chのまとめサイトなどでゴゴ通信の「【動画】いわて国体の表彰式動画が女子は63万も再生されるも男子は7000再生 この差はなに?」という記事も話題になっていた。

 201610月に開催されたいわて国体の表彰式動画の再生数が、女子は629411再生、男子は7083再生という圧倒的な差がついているという記事だ(再生数は20171023日、1613分のもの。201710251624分段階では、女子702971再生、男子11867再生)。ゴゴ通信の記事には再生数に差がついた原因は、直接的には書かれていない。しかし、動画のコメントや、この記事を引用した2chのまとめサイト、ツイッターなどには、女子の選手が着ているユニフォームの露出や、太もも、胸、腹まわり、そして選手の容姿を比べた感想が無数に溢れていた。女子と男子で動画の再生数が異なるのも、それらを理由とする意見がほぼすべてだった。

 芸能界での性的暴行が「枕営業」の問題にすり替えられるのも、痴漢被害の問題よりも痴漢冤罪が注目されてしまうのも、この二つのケースからうかがい知れる「女性は、ただ存在しているだけで、性的に消費される」ことが関係しているのではないだろうか。

 芸能界での性暴力も痴漢も、具体性を伴った暴力であり、それだけで断罪されるべきものである。それにもかかわらず、そうした被害を無効化したり、笑い話にしたり、軽視する背景には、この社会では、女性を性的に消費することが躊躇なく許されているからなのかもしれない。

 もちろん他者を性的にみることや欲望を覚えること自体を否定することはできない。女子と男子の表彰式動画の再生数の差は、意図して作り出されたものでもないだろう。だが、田中氏は、体操競技のユニフォームを着て、オリンピックという大舞台で、自分のパフォーマンスを行っていただけだし、表彰式動画の女子・男子は、陸上競技のユニフォームを着て、表彰式に参加していただけに過ぎない。ただそれだけだ。性的に誘惑する意図を持たないシーンなのに、「エロい」と言われて注目を浴びてしまう。そこに注目することに、まったく悪びれない社会が出来上がってしまっている。

 こうした事実は、「そういうものだから仕方ないじゃないか」と簡単に開き直って、済ませていいものではない。「枕営業」に注目したり、「痴漢冤罪」ばかりを取りあげる人びとも、女性が社会の中で性的に消費される存在とされているということ自体はおそらく認識している。いや、女性を性的に消費していること自体は認識している、のほうが正しいのかもしれない。だからこそ「枕営業」など、性的な魅力を武器にする女性の話を取りあげるのだろう。

 「女性側も性的消費を望んでいるのだから良い」としたり、一方で「女性側が無防備だから興奮する」としてみたり、消費態度は一様ではない。いずれにせよ、男性が女性に性的な欲望を向けることは自然であり、何ら問題ないとの解釈が前提にある。その態度が、性暴力の問題を軽視し、セカンドレイプなど、様々な形で新たな暴力として現れることに繋がることなど思いもしないのだ。

 再生数のひとつひとつは、個人的な欲望でしかないのかもしれない。でもその集まりが、結果的にどのような形で現れているのか、社会のあり方が映し出されていのかを一度立ち止まって考えてみるのはどうだろう。性暴力が、加害者と被害者という関係に留まらない、社会全体の問題であることに気が付けるかもしれない。
wezzy編集部)

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