10代の少女を中心に、20代、30代の女性をもこっそり魅了し続けているケータイ小説。ブームが終わり、携帯電話が廃れた今も、それは「ケータイ小説以外の何物でもない」姿で残っている——私はそう思う。
しかしここで疑問がひとつ。何がどうなっていたら、ある作品を「ケータイ小説である」と言えるのか。どんな条件が揃っていたら、それはケータイ小説として女性を惹きつけるのか。
まずはそれを考えてみようと思う。ケータイ小説のことをあれこれ追求していくと宣言した以上、「ケータイ小説とは何か」という前提の部分を、みなさんと改めて共有した方がいいと思うからである。
と、ここまで書いたところで数時間悩んだ。
ケータイ小説とは何か、どんなもののことを言うのか。感覚としてはよくわかっているのだ。しかし、じゃあ何がその特徴となっているのか、を言語化しようとするとこれがどうして難しい。「ケータイ小説サイトに投稿されている小説がケータイ小説である」と言うのが一番簡単なのだが、それをすると、ケータイ小説という世界観によって導かれる体裁やストーリー回しの独自性が伝わらないので困る。
困るので、とりあえず一番簡単そうな見た目から言及することにした。グラフィックソフトで、「定番ケータイ小説」のビジュアルを作成してみよう。
ケータイ小説冒頭は「ポエム」でこそ
以下の図が、正味5分で作った「これがケータイ小説(の冒頭)だ」である。
駄目な書き出しだ。ケータイ小説ウォッチャーの私の勘が、「この小説は途中で更新が止まる」と告げている。しかし今回はこれで用は足りる。
なぜこれを「文章の引用」という形ではなく「スマホで見た時のビジュアルの再現画像」でお見せするのか、わかっていただけると思う。体裁が、長文の読み物としてちょっと、いやかなり独特だからである。特に、過剰に多い「行間」は、つぶすと一気に違う印象になるため、ケータイ小説の特徴として欠かすことができない。
ここで既存の、つまりサイト掲載中のケータイ小説をスクショなどで引き合いに出さない理由は、単にさらしものにするようで抵抗があるからだ。申し訳ないがここは私の擬態駄文でゴリ押しさせていただく。実物が気になる方は各自、「魔法のiらんど」や「野いちご」をのぞいてみてください。
ケータイ小説を読んだことがあろうがなかろうが、なんとなく「ああ、こういうのね」と思う方が多いんじゃないかと思う。ひとことで言えば「ポエム」である。
この手のポエミィなプロローグは、ケータイ小説としては定番中の定番、たぶん過去一億回くらい書かれてきたものなので、読み慣れている方は「アレと似てる!」と思うことがあるかもしれない。が、たぶん同じように似ている作品が数千作はあるのでお見逃しを。また、今回はインパクトのために黒背景にしたが、別に黒背景白文字の小説ばかりということもない。
なんとなくわかっている方も多いだろうが、「冒頭ポエム」というのは、ケータイ小説ブームの頃からまったく途切れずに続いている「伝統」である。2008年、ケータイ小説ブームの頃に書かれた内藤みかの『ケータイ小説書こう』(中経出版)にも、こんなくだりがあった。
「……ポエム調で始まる作品がとても多いんです。ポエムから始まることを、私は否定しません。ただ、作品の主題やテーマを冒頭のポエムで表現しようと全力投球し、力尽きてしまい、書き出した小説が途中で止まってしまう人がたくさんいます。実にもったいないことです」(P86)
わかる。わかりますよ内藤さん。ポエム以降のページが更新されない小説が、いったい何千作あったことか(そして今もある)。
「なんとなくポエミィ」なケータイ小説本文
ポエムなのは冒頭だけなのか。そう聞かれたら、私は「うーん……」と首をひねる。その理由をお伝えするために、次の画像を作った。ケータイ小説の「あるある本文」である。
プロローグ、本文ともになんとなくの傾向があることを感じていただけるだろうか。
一行一行にあまり情報が詰まっておらず、行間がふんだんにあけられていて、地の文であってもやっぱり全体的にポエミィな感じ。読者に向かって長々と状況を説明したり、自意識をことこまかに分析したりはしない。
思いきり雑に言うと、これがケータイ小説の基本体裁である。小説というよりも、少女漫画のイラストを全部消した状態で、セリフとモノローグだけを目で追っていっているのに近い、と言ってもいいくらいかもしれない。「地の文」として、ゴリゴリ重厚な文章を書くことは全く求められていない世界だ。
最後に、ここまでの説明をわかりやすくするため、「ケータイ小説っぽくない」画像をお見せする。「小説家になろう」や「カクヨム」など一般の小説投稿サイトで読まれるのが、このような体裁のテキストのはずだ。
何度も私の駄文をお見せして恐縮だが、これと比較すると、「ケータイ小説あるある体裁」の特徴が、感覚でおわかりいただけるのではないかと思う。
もちろん、作家によっては地の文章が多かったり、リアリズム的というか、クールな言い回しを好んだりもする。以前インタビューした映画館さんなどはまさにこのタイプであり、感想として「文章が難しい」と書かれているのをちょいちょい見かけてきた。例外的な作品はいつの時代もたくさんあり、その中から名作や、あるいは新しい定番が生まれることもある。
ただ、今のところの「多数派」を占めるのは、やはり上記のような「なんとなくポエミィ」な体裁である……そう断じても、そこまで見当違いではないだろう。ふわっと感覚的に、さらっと素早く読み進められる。それがケータイ小説の世界だと私は思う。
ケータイ小説っぽい体裁に、何を入れればケータイ小説になるのか
ここまでの画像作成などで、私の伝えたい「ケータイ小説とは何か」の像が、表面的な部分に関してはすこしだけはっきりしてきた。つまり、ケータイ小説サイトに掲載されており、かつケータイ小説的な体裁——横書きで、平易かつポエミィな文章が行間をあまり詰めずに並んでいる——で書かれた小説であること。これは、「ケータイ小説とは何か」を考えるとっかかりになりそうである。
しかし、ここで私はまた、あたりまえの疑問に行き当たらざるを得ない。
そもそも、私は何を指して「ポエミィである」と言っているのか。そして、「この体裁で書かれていれば全部ケータイ小説である、とはたして言えるのか? ストーリーにも何かしらの条件が発生するのでは?」ということだ。この辺りを多少なりともおさえておかないと、「ケータイ小説とは何か」は語れない気がする。
というわけで、次回は「ポエム」について考えたい。今回はここまで。
※ギャル字で書かれたケータイ小説が今見ると「古語かよ」状態であるように、今回作成した画像も、数年後には「文語体かよ」と思われるくらい古くなる可能性がある。これが「2017年時点でのあるある」であることは、ここで改めて強調しておく。