生まれつきの茶色い髪に「黒染め」を強制~教育の剥奪、人権侵害、そして根深い差別

文=堂本かおる
【この記事のキーワード】

権力志向のコントロール・フリーク

 こうしたことを学校がおこなってしまうのは、学校側が自らを「オーソリティ」(権力者、支配者)と勘違いし、権力を濫用しているのである。すべての生徒と保護者をコントロールできると思い込み、実際にコントロールしようとするコントロール・フリークなのである。生徒の訴えに対し、全面的に争う構えの大阪府も同様だ。

人権侵害

【世界人権宣言 第二条】

1:すべて人は、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、門地その他の地位又はこれに類するいかなる事由による差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる。

 これは世界人権宣言の一部である。「髪の色」という節はないが、「皮膚の色」があり、髪の色もそこに付随すると言える。生徒側の弁護士も「黒染めの強要は、生まれつきの身体的特徴を否定し、人格権を侵害する」と主張している。

 髪の色も含め、生まれつきの身体特徴を強制的に変質させる権利は誰にもない。そもそも生まれつきの色(茶色であれ、黒であれ、金髪であれ)に良し悪しはなく、その色を保つのも、変えるのも、本人だけが持つ絶対的な権利だ。これを人権と呼ぶ。

 今回の件で学校側が決定的に間違っているのは「生徒の人権を無視」していることだが、おそらく人権の概念を理解しておらず、未成年者にも人権があることすら認識していないのではないだろうか。つまり、生徒に人権について教えるという教育機関としての重要な責任も果たしていないことになる。

 なお、今回の件に関して学校側を批判する人たちのコメントに「生まれつきの茶色なのだから”仕方ない”」というものが散見された。「仕方ない」という言葉は、本来はそうであってはならないが、事情を考慮して許す、見逃す、という意味である。この生徒は茶色い髪を持って生まれた。それは彼女の身体特徴であると同時に、彼女のアイデンティティの一部でもあるはずだ。他者が「仕方ない」などと「許す」ものではない。

差別の心理

 人権宣言に「人種、皮膚の色(中略)これに類するいかなる事由による差別をも受けることなく」(強調は筆者による)とあるように、髪が茶色いという理由で髪染めを強要したり、修学旅行から締め出したり、あげくに放校するのは「差別」に当たる。

 ここで改めて差別について考えてみる。筆者はアメリカ在住につき、アメリカの差別事情を例に取りたい。

 アメリカは多種多様な人種と民族がともに暮らす国ゆえに、あらゆる組み合わせの差別が存在する。マジョリティである白人からマイノリティである黒人、ヒスパニック、アジア系への差別だけでなく、早い時期に米国に来た黒人から後発移民のヒスパニック、アジア系への差別もある。逆に遅い時期に米国に来ながら経済的に成功したアジア系から黒人への見下しがある。ユダヤ系への差別と偏見は昔から存在し、近年はテロへの恐怖からイスラム教徒とアラブ系への差別や偏見もある。

 それぞれの差別には社会的・歴史的な背景があるが、ほとんどの場合、「外観」が差別の象徴として利用されてしまう。肌の色、顔立ち、髪の色や質、ヒジャブやターバンといった固有の服装などで相手の人種や民族を推測し、差別行為をおこなう。

 だが、外観による推測が誤ることもある。よく起こるのは、ターバンを巻いたシーク教徒がイスラム教徒と勘違いされて襲われる事件だ。つい先日はLAドジャースのダルビッシュ選手に対し、アストロズのグリエル選手(キューバ系)が指で両目尻を釣り上げ、中国人の少年を指す蔑称「Chinito」を口にする差別行為をおこなった。キューバ系のグリエル選手もマイノリティではあるが、全米の人口ではヒスパニックはアジア系をはるかに凌いでる。とくにプロ野球界においてヒスパニックは大きな比率を占めるため、マジョリティとも言える。他方、ダルビッシュ選手は日本人とイラン人のミックスであり、アジア系だが、中国系ではない。

 どちらのケースも差別する側の無知が露見しているわけだが、そもそも差別する側は「細かい違い」など気にしていない。自身をマジョリティ(または優越なグループ)と捉え、マイノリティ(または劣位にあると自分が信じるグループ)を見下し、その際に相手の外観を揶揄する。

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