複数の相手との恋愛を合意で行う「ポリアモリー」を実践する人たちと出会い、あらためて考える自分自身の恋愛&結婚観

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 それでも、私が知るかぎり本当に穏やかで丁寧なコミュニケーションを取ろうとしている人が多い印象です。メタモア(恋人の恋人)同士も仲よしでふたりでよく遊ぶという人たちもいましたし、見ていると、1対1の関係では考えないところまで、深く細かに考えてコミュニケーションを取ろうとしていると感じました。心の寂しさをセックスや恋愛で埋めようとしている人もいましたが、そういう人はあまりうまく関係を築けていないように見えました。11の恋愛でもうまくいかないこともあるように、一言でポリアモリーといっても、個人の解釈や実践に差があります。そもそもポリアモリーと名乗るかどうかも、自分で決めている人たちです。いろいろなタイプがいますし、いい関係を築けているか否かはポリアモリーかどうかよりもその人次第だとわかりました。

 私自身も実は、複数の人を同時に好きになるという性質で悩んでいました。しかし私は「恋愛が好き」なのかというと、そういうわけでもありません。人が好きではありますが、そもそも生活のなかで恋愛の優先順位が高いわけではないですし、人間関係や愛情表現において恋愛感情を一番重視することもありません。

 そして私は人を「好き」と「今は好きではない」に分けていて、それ以外はほとんどありません。そのなかで恋愛感情があるのか、どんなふうにつき合いたいのかは個別に判断します。カテゴリー分けというよりタグ付けのようなものでしょうか。「友情」という概念も実はしっくりこないと感じています。自分が感じている「好き」のなかで、「おそらくこのあたりに属する人を友人と呼ぶのかな?」と思って一応位置づけてはいますが。

私はポリアモリーなのか?

「カラオケに行くのが楽しい友人」と「議論するのが楽しい友人」、それぞれの好きに優劣はありません。それと近い感覚で、恋愛感情で複数の人を同時に好きになることもありました。

 私が「世界で一番愛してる!」と思うのは田村くんという男性です。異性であるものの10年来の戦友であり、家族のようであり、お互いに性的関係や恋愛感情はありません。人間関係は本来、「誰が一番」などと比較するものではないと思っていますが、そういいたくなるくらい、私の人生において重要で、大切にしたい人物です。私と婚姻関係にあるパートナーのくまは、彼のことを私のお兄さん、つまり家族のような存在として捉えていて、嫉妬や疑いはないそうで、ゆるやかな付き合いをしています。

 結婚前の交際中も、ほかに恋愛感情で好きな人ができたと、くまに話したことがあります。すると「君は愛情の絶対量が多いんだね」と肯定されたのです。私がほかの人を好きなときも、「自分を好きでいてくれる気持ちが減ったようにはまったく感じないから、自分が一番ならぜんぜん構わない」といいます。そのため結婚後も「好きな人がいる」という話自体はしていたのです。さまざまな意味での「好きな人たち」の話をしているときの私が楽しそうで好きだといってくれていました。

 ある日、彼にきのコさんの話をしたところ、「そっか、君はポリアモリーって呼ばれるものだったんだね」と納得していました。それでも、私自身はこの性質をいけないことだと感じて強い罪悪感がありました。またくまに対し、好きな人がいるとは話しても「交際をするかどうか」という話はしていませんでしたし、あくまで「複数を好きになる」性質の話にとどまっていました。

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